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心からの感謝状 (5)


  周 斌 (中国)

 早朝一番、私は日本語学校に電話して、事情を説明した。まもなく、学校の先生から住まいの問題を解決したとの電話をもらった。先生の交渉で、上海の富豪が経営している浦和のアパートに後払い入居できるとのことだった。私は整理して少なくなった荷物を引きずりながら、浦和まで移動して入居した。

 住まいは安定したが、仕事がない。毎日、仕事探しに出かけたが、一番辛いのはレストランの前を通る時だ。1週間以上も口に食べ物を入れられなかった。幸い日本の公衆トイレは無料だから、まわりを見渡して、誰もいない合間を見はからってがぶがぶ水を飲み、なんとかそれで生きながらえた。1週間後、近くのスーパーで清掃の仕事を見つけた。ゴミを捨てる時、切り捨てられたパンの耳を発見した。私はその袋を誰にも奪われないように、左手で胸に抱えて、パンの耳をつかみ出すと口に入れた。味のないパンの耳をしょっぱい涙と一緒に飲み込んだ。それは私の人生の中で一番嬉しい、一番美味しい、そして一番惨めで、辛い食事であった。

 9月10日、日本へ来てから、初めての給料日だった。責任者は1人ずつ名前を読みながら手渡していた。私は待ちきれずに、ずっと隣に立って待っていた。やっと名前を呼ばれた時、返事をするのも忘れて、給料袋を奪い取ると、胸に抱き締めて一直線にトイレへ走った。ドアの鍵を掛ける余裕もないまま、給料袋を抱いて、大声をあげて泣き崩れた。
「これは私の命だ!」「私は助かったよ!」「汪先生に大事なお金を返すことができる!」
 封筒を開けた時、中の札は涙でびしょ濡れになっていた。私は乾かすため1枚1枚を大事に日本語の教科書にはさんで、バッグに入れた。

 その後もさまざまな事があったが、板橋区のアパートに越してから、ある日泥棒に窓から侵入され、2ヶ月分の給料20万円と、2人の学生の名前と電話番号が書いてある紙の入った財布をまるごと盗まれた。再び赤貧洗うが如し、奈落の底につき落とされた。

 深い絶望の中で、ふと、「頑張ってくださいね」という2人の青年の優しい声が、再び空から聞こえてきた気がした。

 「頑張ってくださいね」という彼らの言葉と優しい声は、絶望的だった私にとって、いつも空から降り注いでくれる神様の声のような存在であった。その言葉はいつも私を護り、私を励まし、私を奈落の底から救ってくれた気がする。感謝! 

  感謝したい気持ちが日に日に高まり、湧き上がって、溢れ出しそうになって止められない。その2人の名前と電話番号は二度と現れてくれなかった。でも、私の心と脳に鮮明に刻み込まれ、永遠に忘れることのできない名前がある。日本体育大学の鈴木さん。私は、毎日、あなたたちに涙で感謝状を書きつづけている。きっと神様はいつかこの2人の青年に会わせてくれると信じている。生きているうちに、是非お会いしたいと、祈りながら生きている毎日である。(了)
(2012年6月掲載)

【目次】
>> 心からの感謝状 (1)

>> 心からの感謝状 (2)
>> 心からの感謝状 (3)
>> 心からの感謝状 (4)
>> 心からの感謝状 (5)

【編注】
筆者の周さんは、親切にしてくれた2人の日本人学生(ともに男性)を捜しています。1986年当時、学生の1人は「日本体育大学の鈴木さん」だったというのが唯一の手掛かりです。2人は現在、40歳代ではないかと思われます。ご存じの方はご連絡してくださいませんか。連絡先は、「北嶋千鶴子の日本語教室」(tel/fax. o42-422-5219、info@japanese-nihongo.com)です。