−(前月から続く) 日本語はイタリアの大学で勉強されたのですか。
コデン はい。ベネチア大学で学びました。外国語学部日本語学科です。私が在学した当時の大学は一応4年制でしたが、最近は大学の制度がすっかり変わってしまって私もうまく説明できないほど複雑になりました。基本的には3年+2年になって、短期大学ではないですけど、3年で卒業することができるようになりました。卒業論文は書くようですが、簡単なものでよくなったようです。私たちのころは本格的な卒論を書いて、口頭試問を通らないといけませんでした。
−日本語や日本文化を勉強しようというイタリア人が増えているんですか。
コデン イタリアの大学で日本語日本文化を勉強できるようになってきました。例えばレッチェ大学(現サレント大学)で日本語を学べます。レッチェはイタリア半島の長靴のかかとの部分にありますね。あと南部のカラブリア州にある大学、あとローマ、ミラノ、トリノ、ファビア、ボローニャなどの大学で日本語を勉強できます。それにナポリ大学とベネチア大学は古くから日本語学科がありますね。最近はイタリア各地で日本語を勉強できるようになりました。
−どうしてそんなに人気なんでしょう。まさか単位を取りやすいわけではないでしょう(笑)。
コデン もちろん、そういうことではありません(笑)。日本語はとても難しい。私が入学したときの日本語学科は学生が200人でしたが、卒業時の同級生は30人でした。当時のイタリアの大学は入学者の30%しか卒業できないと言われていたので、卒業するのがとても難しかったんですよ。最近特に日本語学科は競争率が高いかな。
−それほど難しい日本語をどうして学ぶ気になったのですか。
コデン 外国語が好きで、英語は一応話せるので、それ以外のことばを勉強しようと思いました。アラビア語も勉強したかったんですが、漢字に惹かれたので日本語にしました。同じ漢字ならどうして中国語にしなかったのかとよく尋ねられますが、実は自分でもよく説明できないんです。どうして日本語になったのか…。
−ベネチアだと、有名な国際映画祭があります。日本映画もたびたび受賞しているので、そんな影響があったのでしょうか。
コデン 日本映画というと、やはりアニメ(笑)。小さなころから日本製のアニメが好きだったので無意識に影響があったのかもしれませんね。「アルプスの少女ハイジ」はスイスで製作されたとばかり思ってましたが、実は日本製のアニメですよね。知ったのが大学生になってから。ちょっとショックでした(笑)。「ハイジ」はみんな見てますよ。親の世代も見てるんじゃないかなあ。イタリアのテレビで日本アニメはかなり放映されてます。
−大学時代の卒論は何でしたか。
コデン 「唐十郎の『特権的肉体論』について」でした。著書を少し訳して、文化人類学の視点から取り上げました。日本文化にとても興味があったので、唐さんを鍵として知りたかったんです。1998年に来日して卒論の資料を収集し、2年近くかけて論文を仕上げました。卒業したのが2000年です。
−それじゃあ、日本の現代演劇研究の専門家ですね。
コデン さっさと卒論を仕上げたら、もっと早く卒業できたかもしれませんが、イタリアでは当時、大学を4年で卒業しようという人はそれほど多くありませんでしたね。いろいろな理由があると思いますが、就職活動というのもなかったのですぐに仕事につなげようと思いませんでした。当時のやり方ですと、卒業してから自らの手探りで履歴書を送って仕事を探します。でもすぐに見つからないですね。その上、そのころスタートした日本の演劇や舞踏のクラスに通いながら、大学という、智恵を身につけられる場の贅沢をじっくり楽しませてもらいました。(笑)。
−いまの日本も状況が当時のイタリアと似てますね。大学を卒業しても就職が難しい時代になってますから。
コデン だから最近の学生を見ていると、そんなに焦って卒業することはない、卒業や就職にそんなにストレスを感じなくていいですよ、と言いたいですね。この数年は特に暗い感じがします。それなら海外留学を考えたりしてもいいと思いますね。
−イタリアの学生はのんびりしてるんですか。
コデン もちろんいまは制度が変わったので比べられないと思いますが、私たちの学生時代は4年できっちり卒業する人もいましたが、普通は6年ぐらい学生生活を送ると言われていました。もっと難しい大学や学部だと、30歳代で学生という人も珍しくありません。試験が難しいんです。
−来日して横浜国立大学の大学院で勉強されましたね。イタリアと比べてどうですか。
コデン 日本の大学院で、演劇以外の授業を取らなければならなかったのでとても大変でした。あとは大学院でも大学でも、授業に出なければならないというか、みな授業によく出席するので驚きました。私はベネチア大学で先生の講義を聞きたかったので授業には出ましたが、日本のように出席が義務ではありませんでした。
当時の試験のやり方も違いますね。イタリアはペーパーテストでなくて、基本は口頭試問です。何冊かの図書が指定され、そこから質問、試験が出るんですけど、何が出るか、どこを聞かれるかはまったく分からない。だから自分で勉強する以外のいろいろな能力が試される気がします。基本的に、簡単に単位を取れないんです。
−なるほど。確かに実力がないと、先生たちの口頭試問で受け答えするのは大変ですね。
コデン あと環境の違いというと、イタリアの学生は日本の学生ほどアルバイトする必要がないんです。大学はほとんどが国立で、学費は年間10万円を切るぐらいでしたから。しかも奨学制度があって、もらった奨学金は返却しなくてもいい。日本ではお金を返さなければならないと聞いて、驚きました。そういう意味で、イタリアの大学生は日本よりは勉強だけに集中できる幸せな時間を過ごせますね(笑)。
−卒論で取り上げた唐十郎さんは横浜国立大学の教授でした。どんな先生でしたか。
コデン 大学院に唐さんの授業はなくて、学部の授業を聴きに行きました。イプセンや泉鏡花を取り上げたり、劇作家で明治大学教授をされていた木下順二先生の話をされていたのが印象に残っています。授業はとてもおもしろかったし興味深かったです。
−著書で知った唐さんの舞台を、実際にご覧になっていかがでしたか。
コデン 最初はことばがよく分からなくて全部理解するのは不可能でしたが、芝居のリズムがものすごく心地いい。それまでイタリアで見ていたのは日本の古典芸能、能や狂言のような伝統的な芝居でしたので、唐組の舞台を見てリズム感に驚きました。それは発見でしたね。
−イタリアで日本文学がよく紹介されるそうですね。よしもとばななさんの小説はイタリアでも人気だと聞きますが。
コデン よく読まれています。ベネチア大学の先輩とナポリ大学の先生が翻訳しました。あとは村上春樹、村上龍ですね。大学の先生がイタリア語に訳したなかに、谷崎潤一郎や泉鏡花などの作品もあります。現代よりも、近代、中世の作品が多かったように思います。いまは桐野夏生とか田口ランディとか現代作家の著作が何冊か訳されています。
−どなたの作品が好きですか。
コデン 日本語の作品はどうしても研究対象になってしまってあまり楽しめません。しっくりくるのはやはりイタリア語の世界ですね。好きな作家はたくさんいます。強いて名前を挙げると、ナタリア・ギンズブルグやエルサ・モランテでしょうか。あとアルベルト・モラヴィア、ピエル・パオロ・パゾリーニ、ディーノ・ブッツァッティとかを読んでもおもしろいと思いますね。
−日本に長く住んで、これはおかしいというような違和感を持つことはありますか。あるとしたら何でしょうか。
コデン 生活する上では違和感はありますよ。日本だけではなく、イタリアに住んでも違和感はありますから(笑)。私がイタリア人だから、日本に住んでいるからという理由で違和感があるわけではないと思いますね。
−なるほど。タジタジとなったところで、ちょうど終わりの時間ですね。興味深いお話、ありがとうございました。
(2011年6月17日、吉祥寺)
* チンツィア・コデン「イタリア語を教えて」(2011年6月)