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Hideko Davisさん

Hideko Davis さん(写真右)と夫のDickさん

福祉の仕事に携わって


by Davis Hideko (米国)

Q:アメリカでどんな仕事をしていらっしゃいましたか。
A: 私はサクラメント郡の福祉局のsocial worker supervisorでした。退職してまだ数ヶ月主人と旅行を楽しんだりしています。落ち着いたらこれからはボランティアとして地域の役に立ちたいと考えています。主人には6人孫がいますが、私にはまだいません。

Q:福祉局では主にどんなことをしていらっしゃったのでしょうか。
A: 主に貧しい人たちが自立できるように手助けの仕事をするソーシャルワーカーの係長をしていました。

Q:生活保護のようなものですね。アメリカでの制度はどのようなものでしょうか。
A:問題もあります。アメリカではクリントン大統領になるまで、アメリカの生活補助費は一番下の子供が18歳になるまで無制限にもらい続けることができました。そのため低所得者は自助努力の精神に欠ける人もいました。そういう場合貧しい生活から抜け出すことは難しく、その結果子ども達もそこに留まり続けるといった悪循環になるケースも少なくないのです。そして福祉をもらい続ける2世や3世が現れ、社会的問題の一つになっています。現在は受給できるのは一応最大5年と決められています。勿論、特別な事情がある場合は延長が可能ですが。

Q:アメリカ独自の制度もありますか。
A: はい。アメリカには生活補助を受けていない人にもSection 8という援助があります。これは家賃が減額される制度です。しかし資金の限定のため需要に比べ供給の比率は大変低いのです。その外に低所得者用のアパートがたくさん建てられている地域もありますが、治安がよくない傾向があります。福祉をもらっている人達はその他に食券ももらえるし医療保険にも入れます。

Q:難民の人にも当然支給されていると思いますが…。
A:ええ、仕事柄多くの難民の人達に接する機会があります。難民の場合は渡米後8ヶ月の間子供がいない人達に難民手当が出ます。子供がいる人達には普通の福祉がでます。

Q:民族によって何か違いがありますか。
A:そうですね。ベトナム人にはいつも感心させられます。彼らの多くは難民としてアメリカに渡ってきた人々がとてもよく働き、向上心に溢れ、何年もしないうちにほとんどの人が生活補助をもらわなくなります。また子供の教育に熱心で、多くの子供たちは成長して弁護士だったり会計士だったり医師だったりかなりいい仕事に就く人が多いです。15歳でアメリカに来た時には英語も話せなかったのに18歳で首席で高校を出た人もいます。ロシア人(多数はウクライナ人)もほとんどが自立していきます。

Q:他の難民も自立していく人が多いということですか。
A:いいえ、そうではありません。自然の中で暮らしていた民族の中には、それまで考えても見なかったアメリカの生活にすっかり満足して何もしようとしない人たちも多く、2世の代になってようやく生活が向上しているようです。

Q:個人的なお話を伺ってもよろしいでしょうか。
A:ええ。

Q:秀子さんはアメリカでの生活は長いのでしょうか。
A:私はサクラメントで暮らして30年以上経ちます。初めは英語の研修のために4週間過ごしたら帰国する予定でした。それがアメリカで大学を卒業して、アメリカ人と結婚して3人の子供を育て上げることになるなんて思ってもみませんでした。

Q:国籍もアメリカでしょうか。
A:ええ、アメリカです。アメリカ人になった一番大きい理由は選挙で投票したかったからです。外国籍では自分の意見を政治に反映することができないのです。

Q:そうですね。最後にアメリカでの生活を振り返ってみて何か一言…。
A:そうですね。いろいろ苦しいことがたくさんありました。でも仕事にも恵まれましたし、子ども達も独立しました。今、再婚した夫と2人、経済的にも恵まれています。これからはボランティアとして自分を必要とする人たちのために働きたいと思っています。でもいくら英語ができても文化の違う国に住むということはまたそうした苦労があります。
(2011年3月)