日本体験 外国体験 Experiences in different cultures
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三本木子(李紅麗)さん

写真は、三本木子(李紅麗)さんと家族

帰国します


by 三本木子(李紅麗)

 私は今月、中国に帰ることにしました。一番の理由は子供のことです。私には2人子供がいますが、長男が今年小学1年生になるのです。今まで保育園でいじめられたということも、子供が保育園に行くのを嫌がったこともありませんが、いつも一人ぼっちの彼を見るのがつらかったし、学校に入ったらもっとつらいことが待っている気がして家族全員で中国に帰ることにしたのです。親戚の子供がいじめられたことを知っていたからです。帰ると言っても実は私はもう帰化して日本人です。これからは中国で日本人として暮らさなければなりませんから、心中は複雑です。

 日本人になって良かったことはいろいろあります。ビザのこともアパートを借りることも手続き上のことは何でも簡単に出来るようになりました。しかし差別は相変わらずありました。あるとき急にお巡りさんがやってきて「外国人登録証」を見せろと言われました。私は日本人だからありませんというと黙って帰っていきました。

 突然どうしてこんなことが起こったのかと不思議に思っていたら、大家さんが通報したのでした。その大家さんは私たちが留守の間に度々無断で部屋に入り込んでいました。家に帰った時に部屋の様子が何か変だなと思っていたある日のことです。夫がいつもより遅く出勤するために家にいたときに突然大家さんが鍵を開けて入ってきました。夫はパンツ1つで、出て行ってくれ、今度したら警察に連絡するぞと言うと出て行ったそうです。私たちはこんなところにいられないと直ぐに引っ越すことにしました。不動産屋に間に入ってもらって交渉の結果引っ越しの費用はその大家さんが払うことになりました。日本で暮らして一番ショックを受けた出来事でした。

 日本語学校や専門学校の時はアルバイトに追われ、仕事先でもなかなか日本人の友だちは出来ませんでした。長男の場合は遅くまで預けていたのでお母さん達と話をする機会もありませんでした。今やっと日本人の友だちが出来ました。次男の保育園のお母さん達です。迎えに行ったときに度々会うお母さんたちとは毎日のように互いの家に行って夕食を共にするようになりました。私を入れて6人が仕事が休みの土曜や日曜にもよく集まります。昨日は「送別会」を開いてくれました。別れるのが辛くなりました。16年の間に嫌なこともあったけれど、最後にいい思い出をたくさん持って帰れるのは幸せなことだと思います。
(2010年4月)