日本体験 外国体験 Experiences in different cultures
space
| 73 申男 | 戻る back <<

安全・安心の保育を願っていたのに(下)


by 申男(韓国)

 面談の際に最も寂しく、辛かったのは「いじめられた方にも責任があるのよ」といわれたのも同然のときだった。被害者である我が子が悪いという内容だった。
  私は、保育園の安全管理と先生方の職業倫理と価値観を疑う。今後働くママは増え続けると予想する。安全・安心がない保育園に子どもを預けて仕事をするしかないママの気持ち。どんな保育園でもよいから、保育園に空きができてほしいと願う働くママ達は多くいるだろう。しかし多くの保育園には空きがない。また、保育園は市町村が運営するのではない、委託保育園が多い。市町村は委託保育園の実情を知ろうともしない。私は、後に役所に行って訴えたが、他の保育園に移るようにしてあげるとだけ告げられただけだった。

 それから、子どもは保育園に行くことを嫌がっていたが、私は子どもに「新しいところ(他の保育園か、幼稚園など)が見つかるまでよ。もう少し頑張って」と伝えた。私は、子どものことを思えば、会社を辞めて育児に専念し、幼稚園に行かせたいと思っていた。しかし、すぐ仕事を辞めることは簡単ではなかった。当時、少々早めの退社をさせてもらったり、子どものことで外出したり、会社ではかなり理解して頂いている状況だった。

 ある日、子どもが言ってきた。「ママ、僕は韓国人だから韓国に帰れって」という。
  私は「誰がそういうの?」と聞くと、「A君、C君、K君」と言った。私は「韓国人だから、韓国に住まなきゃいけないとか、日本人だから日本に住むとかではないのよ。仕事や勉強のため、アメリカに行ったり、韓国に行ったりすることだってあるんだよ。あなたは、日本語と韓国語、2つができるんだからすごいのよ」と言って、自分に自信を持つように子どもに伝えた。

 それから、保育園の遠足があって、バス停まで直接送ることになったときだ。
  私と子どもは待合時間に遅くなりそうだったので、バス停まで走って行った。すると、皆がバス停で待っていて、A君が叫ぶことが聞こえてきた。「あ、韓国人がきた。韓国人だ。韓国人」と何回も叫んでいた。バス停には他の園児達や先生2人以外も一般の大人の日本人もいて皆が私と子どもに視線が集まった。私は子どもに「行ってらっしゃい。大好きよ。遠足楽しんできてね」と言って、会社に向った。

 その日の午後6時過ぎ、保育園に迎えに行った。私は保育園の先生からお話があるかと思って、「先生、今日の遠足はどうでしたか?」と尋ねた。担任先生は、「ヴィン君はとても楽しんでましたよ。ピカチューお弁当を皆に自慢しました(笑)」と言った。私が先生に聞きたかったことは、遠足の話しはもちろんだが、朝のA君が言ったことについても何か言ってくれるのではと思ったからだった。それから、何日か経った。子どもは、「ママ、僕が園に行くと韓国人がきたというの」と言ったので、私は、「誰がいうの?」と聞いた。子どもは「A君が大きい声で言うの」と言う。

 私は、保育園を変更できない状況だったため、できれば保育園とのトラブルを避けようとしていた。しかし、子どもが何回も皆の前で名前で呼ばれるのではなく、「韓国人」と呼ばれることは、子どもに心の傷を増やすことになると思ったため、園長に言うことにした。
  翌日、園長に会って「子供達が子どもの名前を呼ぶのではなく、韓国人と呼んでおります。特に、A君がいつも言っているといいますので、先生の前で韓国人と呼ぶことがあったら、名前で呼ぶように言っていただけますか」というと、園長は「A君がヴィン君に韓国人だというのを2度くらい見かけました。そのときは、注意させましたが…。きっとA君のお母さんが言っていたことをA君が聞いて言っていたのでしょう。A君のお母さんに伝えます。すみません」と言った。

 私は、ショックだった。園長は知っていながら問題にしなかったのであった。私が言ってくることを待っていたのだろうか。見えていた差別をみて見ぬふりをしていた園長の教育観を疑った。

 その後、私は夫の転職により引っ越しすることになった。私は、会社が遠いこともあって退職した。子どもは幼稚園に通っていて、今年の4月に小学校に入学することになった。子どもは「ママ、僕ここがほんとうに好き。お友達もたくさんいるし、幼稚園のバスも乗れるし、ママもお家にいる(笑)」と言って、毎日幸せそうに過している。

 子どもは、日本で生まれたが日本人ではない。これからも小学校に入学していろいろなことがあるだろうと思う。私は、子どもが持っている個性やそのアイデンティティを大切し、自分を愛する子どもに育てていきたい。自分を愛し、他人を愛する子どもに成長してもらえたらと思う。子どもの笑顔、夫の笑顔で幸せを感じる私である。
(February 2009)