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空港で妹と一緒におどける童昌浩くん

中国語が覚えられた


by 童昌浩

 僕は2006年の7月から今年7月までの約1年間、中国の上海で暮らしました。お父さんが中国人なので、中国語を勉強してきなさいと行かされてしまったのです。お母さんと妹の3人で、中国にあるお祖父さんお祖母さんの家で暮らしました。

 本当は小学2年生でしたが、校長先生との面接で1年生のクラスに入ることになりました。中国語が全然わからなかったからです。初めて学校に行った日に学校の中を見て回りました。トイレを見た時はショックでした。大便をする場所にドアがなかったからです。学校で絶対にうんちはできないと思いました。けれどもある日とうとう僕は学校でうんちをしました。帰って「学校でうんちができた」と報告すると「偉い」と言われました。

 中国の小学校は朝7時45分までに行かなければなりません。冬でも8時に始まります。大人が学校まで送って行って帰りも迎えに来ます。たくさんの子供たちが車で来ているのでびっくりしました。

 授業の後、直ぐに家に帰らなければなりません。ですから学校で友達と遊ぶこともできません。家に帰ってから友達の家に遊びに行くこともほとんどないそうです。日本では小さな公園があちこちにありますが、中国ではあまり公園はありませんでした。あるのはとても大きな公園で、大人たちが体操をしていましたが、遊んでいる子供はほとんどいませんでした。1年生なのに山のように宿題が出るので遊ぶ暇がないらしいです。僕は中国語が分からないのでお母さんと一緒に辞書を引きながら宿題をしましたから、とても大変でした。

 勉強は日本と全然違いました。授業のたびに違う先生に習います。日本の中学と同じです。算数でも□+□=4のように考えさせる問題が多かったです。また休み時間は5分しかありませんでした。昼休みも給食を食べると昼寝をしなければなりません。先生が厳しいので本当に全員寝ていました。ですから学校で友達と遊ぶことはありません。中国の子供は運動が足りないとママもびっくりしていました。

 中国語は行く前にパパが「おしっこ」と「うんち」だけ教えてくれました。それだけわかれば大丈夫だと言いましたが、本当に何もわからないところにじっと座っているのはつらかったです。中国で初めて覚えた言葉は「おなかいっぱい」でした。食事の後でいつもお祖父さんお祖母さんがそう聞いたからです。中国語ではパパがママを「亜矢」と呼ぶと、お祖父さんが自分が呼ばれたと思って振り向くのが面白かったです。上海語の「お爺さん」と発音が似ているからです。中国語は自然に分かってきました。4か月ぐらいで段々話せるようになりました。約1年で何でも話せるようになったし、成績もよくなったので日本へ帰る時には先生がとても褒めてくれました。

 友達ができなくてつらい1年間でしたが、中国語ができるようになって本当によかったです。今では家に帰るとパパとは日本語で話しています。
(写真は、空港で妹と一緒におどける童昌浩くん=右)
(November 2007)