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James Dolanさん

仙台に引っ越したわけ


by James Dolan(英国

  私はデザイナーで、日本のデザインに興味を持っています。しかし私が日本語を学ぼうと思った一番の理由は、妻が日本人だからです。私の最初の日本語の先生は妻でした。妻からひらがなやカタカナ、簡単な挨拶程度の言葉を教えてもらいました。当時イギリスに住んでいたこともあって私の日本語はそれほど上手になりませんでした。

 私はひらがなとカタカナでは、ひらがなのほうが好きです。丸い感じが好きなのです。だから漢字も、「田」のような直線でできている漢字はあまり好きではありません。一番好きなのは「道」「通」など「しんにょう」でできている漢字です。特に「しんにょう」の部分が好きです。イギリスのJやT、Mなどを筆記体で書く時の形とラインが似ていると思います。「さんずい」も好きなので、息子が生まれたとき「海(カイ)」と名前を付けました。「カイ」という音の響きがいいし、ドイツ人によくある名前で、息子が将来ヨーロッパで暮らすときも違和感なく使えるのではないかと考えました。それに「うみ」という意味も気に入っています。

 私たちは結婚してロンドンに住んでいました。私の両親が亡くなっていたので、息子の「海」にはおじいさんおばあさんとのふれあいがありませんでした。子供には祖父母との付き合いが必要だと考えて、妻の両親のいる日本で暮らすことにしました。

 初めは妻の故郷の岩手の田舎に住んでいました。外国人は私一人という環境で、私に出会った人はびっくりするし、私はびっくりされたことにびっくりしてしまいました。ロンドンにはいろいろな肌の人が住んでいますから、このような経験はありませんでした。

 田舎の人は本当に優しくて快適な生活が送れました。妻も私も仕事はインターネットを通じてしていますので、どこに住んでもよかったのですが、そこには美術館やギャラリーなどがありませんでした。私はデザイナーですから様々な刺激を受けたかったので東京行くことにしました。

 東京の郊外にしばらく住みました。剣道の友人も近くにいるし、道場に通うこともでき、英語の教師やデザインの仕事をして充実した生活を送っていました。しかし岩手と東京は遠すぎて「海」はなかなかおじいちゃんおばあちゃんに会うことができませんでした。そこで再び私たちはもう少し岩手に近く、文化的な催しや情報の多い仙台に引っ越すことにしました。今、緑が多く静かな仙台のまちで、新しい生活を楽しんでいます。
(July 2007)