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麻帆ラプランテさん

アメリカ留学で絵を学ぶ


by 麻帆ラプランテ(日本、画家)

 私は祖父が画家だったこともあって、子供の時から母から絵の手ほどきを受けてきていた。自分の画風を変えるのがいやだったので美大に行くのをやめて短大の英文科に進んだ。卒業後、縁があって小さなデザイン会社に勤めた。そこで版下の作り方やマックの使い方を習った。しかしいつかは海外に行って絵の勉強をしようと英会話を勉強していたが、どこへ行ったらいいのか分からなかった。

 ある日東京の木場で開かれたニューヨークスタイルの現代美術展を見に行ったときに、素晴らしい作品に出会った。その作者がその後私が留学することになる「The Art Students」の先生だった。絶対ここで勉強しようと決心した。調べてみると授業料は何と1か月3万円以内に収まる。とりあえずスチューデントビザに変更できるビザをもらってアメリカに出発した。

 アメリカに着いてしばらくして学校の面接に行った。入学を許可してもらうために3枚の絵を持参した。担当者に私は美術関係の学校を出ていないのでスチューデントビザの申請書を出すことはできないと言われたが、しばらく通ってみてもいいとのことだった。私は絶対に学生ビザをもらおうと思って自ら出席カードを作成し、出席していることが書類で証明できるようにして、毎日通っていた。授業は新鮮で、毎日が充実していた。

 ある朝、学校へ行くと担当者に「あなたのビザは今日で切れる」と言われた。私は確か2年の猶予があると思っていたのでびっくりした。彼女が示した書類を見ると確かにビザの猶予は2年間だったが、入管の人が捺していた印は「6か月」となっていた。「わあ、大変、どうしよう」と思った途端にパニックになって泣いてしまった。結局、学校からスチューデントビザの書類一式をもらって急いで家に帰って書類を揃えて入管に行った。とても不安だったが、入管は即座にビザの延長をしてくれた。その担当者は後から、よくビザの最終日になって初めて書類を渡してくれたりするので、私のような経験をした人が大勢いるのだと教えられた。

 とにかくこうして無事ビザを手に入れてここで合計5年間学んだ。先生方もフルタイムパートタイムなど様々な形態で働いていたし、午前、午後、夜のコース、土・日のコースもあったが、昼間のコースはほとんど留学生か引退したお年寄りだった。

 授業料が安いといっても、アルバイトができない私にとって生活はなるべく切りつめたかった。学校にはワークススカラシップと言って、週に一度4時間学校で働くとフルタイムの1コースがただになるというシステムがあった。誰もがその仕事をしたがっていた。仕事を得るためには学校の援助者の面接を受けなければならなかった。私はアピール出来るように大きな作品を持って面接を受けた。「君はこの仕事をすべきだ」と言って担当者に掛け合ってくれたので、担当者は「本当は順番を待っている人がいるんだけど」と言いながらも、すぐに仕事をくれた。

 私はカフェテリアで週1回働くことが出来るようになった。カフェテリアで働けば食事はただで食べられる上、最後に残った物を持ち帰りできたので、次の日の昼食まで食事の心配をしなくて済んだのでとても助かった。

 その他にも「モニター制度」というのがあってこちらも1コースの授業料が無料になる。「モニター」と言うのは先生のアシスタントで、私のクラスの場合は「モデル」がポーズをつける時間を指示したり、新しい人にクラスの流れを説明したりする仕事だった。私は入学して3か月後に幸運にもこの仕事にありつけた。モニターをしていたおかげでモデルの人とも仲良くなれたし、よくお芝居のチケットをもらったりした。モデルの多くは俳優やモデルなどだった。かつてマドンナもここでモデルをしていたことがあったそうだ。

 モニターになったおかげで私は自分の領域を守ること、出来ないことは出来ないとはっきり言う術を身につけた。学生の中にはモニターを自分の召使いかなんかとはき違えている人もいた。「頭が痛いから薬を持ってきて欲しい」とか「荷物を見ていて欲しい」とか様々なことを言ってくる。また「モデルが動いて描けない」などとしょっちゅう文句を言う人もいる。このときは「モデルはロボットじゃないんだから」と言って黙らせてしまった。

 こうしてアメリカで生活するにつれ、はっきり意見を言う生活態度が身についてきた。現在は日本で暮らしているが、厳しいこともあったけれど、言葉の裏を考えなくてよかったアメリカの生活が妙に心地よく懐かしいのである。

 2年たってから休学して日本に戻ってもとのデザイン事務所で1年間働いて授業料を貯め、再び学校での勉強を再開した。4年目には学校で抽象画の賞をいただいたので、1年間の無料授業とリンカーンセンターのギャラリーでの展覧会、そして6000ドルをいただいので、授業料は5年間ほとんど払わなかった。

 すばらしい学校で学費の援助をうけながら5年間過ごせたので、いつか恩返しをしたいという気持ちに素直になった。それがアートとかかわりなくても、社会のなにかの役に立てたらと思うようになった。去年から縁があってNPOポラリスプロジェクトで時々ボランティアをはじめた。今年の9月にはチャリティーショウも開き、売り上げの半額をNPOに寄付した。少しずつだけど自分なりの恩返しをし始めている。
〈2006年12月掲載〉

【注】 ポラリスプロジェクトは、ヒューマントラフィッキング(人身売買)問題に取り組む国際NGOです。2002年に米国で大学を卒業した2人の若者によってスタートししました。日本事務所では、米国同様に豊かな日本の社会でも横行するトラフィッキング犯罪の被害者のために、保護、人権擁護、法的整備のための活動を続けています。 日本での活動は、次のwebサイトをご覧ください。
http://www.polarisproject.jp

麻帆ラプランテさんのwebサイト:Underground Factory M