日本体験 外国体験 Experiences in different cultures
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ロバート・ラプランテさん

日本語を覚えて世界が広がる


by Robert Laplante(USA、弁護士)

 私は現在、東京にあるアメリカの外国法事務弁護士事務所で弁護士として働いている。東京には数百人の外国人弁護士が働いていると思うが、彼らの多くが専門用語も含めてかなり難解な日本の文書や資料を読み、理解できる。日本語が出来なければかなり限られた仕事しかできなくて、クライエントのニーズに対応できないからだ。私は以前英語の教師として東京で働いていたことがあるが、東京で活動している外国人弁護士の中には以前日本で暮らしたことがある人が多い。JETプログラム(語学指導を行う外国青年招致事業:The Japan Exchange and Teaching Programme)やプライベートな英語学校で英語教師として暮らした後、帰国して弁護士の資格を取り、また日本に戻って来るというコースをたどる人が割りと多い。

 私もほんの1年ぐらいの軽い気持ちで日本に来て、結局4年ほど教師をした後帰国して弁護士の資格を取った。同僚の教師も短期間の予定で日本へ来ていたのでじっくり日本と向き合う人は少なかったと思う。

 だから私が日本語を習おうと思ったのも来日して8カ月も過ぎたころだった。実際に習い始めると今度は話したくなる。文法は教師に習ったが、使う相手はもっぱら居酒屋の主人やお客さんだった。文法通りの正しい日本語で話すと、よく「そんな言い方しないよ」と笑われたりしながら日常日本語を身につけていった。それまで私の周りにいた日本人は英語がしゃべれる人か学生だった。普通の英語が話せない日本人と知り合って初めて世界が広がったと感じた。彼らとは友達になり、よくバーベキューやキャンプなどに行った。アメリカ人は私一人だったから、嫌でも日本語を話さなければならなかった。本当に楽しい時間を過ごし、日本語の練習にもなった。とても貴重な経験だった。

 米国のロースクールにはJ.D.という主にアメリカ人向きの法学の3年コースのほかに、既に自国で法学を学んだり弁護士の資格を取っている外国人のためのL.L.M.という1年コースがある。で私が通っていたロースクールのL.L.M. コースのほぼ4割がアジア人、残りをヨーロッパ人が占めていた。アジア人の中で日本人は多数で、当然なことながら優秀な人が多かった。国から派遣された裁判官、検察官、官僚や大学の先生、民間会社の法務部で働いていた人。彼らと英語や日本語で討論するサークルを作って一緒に学んだので、私の法律用語の日本語もかなり上達した。そして、ロースクールの2年目が終わった後、1年休学して日本に戻り、横浜にある日本語学校で1年のインテンシブコースを取った。クラスは平日毎日5時間ぐらいで、宿題も山のようだったけれど、楽しかったし、そのお陰で日本語が本当に上達した。日本語インテンシブコースが終わってからまた帰国してロースクールの最後の1年を終わらせ、ニューヨークで1年半弁護士として働いた。

 そして今、私は弁護士としてまた日本に戻ってきた。私の外国法事務弁護士事務所の主な仕事は、日本の大手企業が海外で株式の売出及び社債や株式発行といったグローバルな資金調を行う際に、その米国証券法の法的事務の担当です。こういった案件で日本人弁護士、公認会計士及び証券会社や発行体の法務部の人とのやり取りは、英語で話したがる人や、私の日本語より格段に相手の英語が上手な場合を除いて、日本語でする。有価証券報告書及び財務諸表やその他の発行体の書類のほとんどを日本語で読まなければならない。もちろん日本法の問題点を見つけたら日本人の弁護士に連絡して解決に当たる。

 私のアメリカ人弁護士という立場から見ると、日本の上場企業の開示基準や会計基準がこの数年いわゆるグローバルスタンダードに近づいてきていると思うけれど、全体的に考えるとまだ改善の余地があるではないかと感じている。アメリカは基本的に悪いことは悪いままに全てを開示して投資家に決めてもらおうという姿勢で、それで市場がオープンになるというのは基本概念だと思う。リスクを取ってもいい人はそのように、リスクを取りたくない人はそのように。つまり自己責任なのだから、投資家の判断に不可欠になってくるのは厳しい開示基準や会計基準なのだ。
(2006年9月)