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インドネシアで


 鈴木ちひろ (日本)

−韓国に1年行ってそれから帰って来てどうしたんですか。
鈴木:日本にはいい仕事がなかったのでインドネシアに行きました。

−どこに行っていたんですか。
鈴木:ジャカルタです。国際交流基金から派遣されてETAで日本に来る看護師候補者や介護福祉師候補者に現地で日本語を教える仕事をしていました。今までで一番良かったです。

−どういう風に良かったんですか。
鈴木:学習者が一生懸命でしたから。

−そうですね。一生がかかっているわけだから。
鈴木:彼らは私たちの税金で勉強して生活していて日当も出ていました。勉強するのが仕事だったからこちらも絶対にやらなければ駄目だと強く言えました。彼らもそれを自覚していました。よく勉強するからよくできるようになるんです。

−どのぐらい勉強するんですか。
鈴木:現地では半年です。現地研修後に日本に来ます。インドネシアの候補者たちは主に技術研修生の研修をするAOTSというところでまた勉強していました。

−半年で日本語はどのぐらいできるようになりますか。
鈴木:N4レベルです。8時45分から4時半か5時ごろまで勉強していましたから。

−それはできるようになりますね。
鈴木:午前、午後それぞれ授業が3時間。さらに30分の自律学習の時間というのがありました。

−自律学習って何ですか。
鈴木:日本で働くようになったら職場で自分で勉強して看護師や介護福祉士の国家試験に合格しなければならないため、自分でどのように勉強したらよいかを考え、自分で勉強するという力をつけさせるための時間でした。勿論私達も助言します。

−どうやってさせるんですか。難しいですね。
鈴木:そうですね。その時間も宿題やディクテーションのフィードバックの時間になってしまうことが多かったです。間違えたところを直させたりしていました。あとポートフォリオを作成し、確認したり…。

−ポートフォリオって何ですか。
鈴木:自分が勉強してきたことをファイリングしていくんです。最初にファイルを渡し、それに人がやってきたことを挟んでいくんです。テストや作文などを挟んでいくのでそれを見たらどれだけ勉強してきたかとか何をやったとかがわかります。今ここまでできるようになったからこれからどうしていこうかなどと考えたり話し合う資料になります。

−いいですね。先生は何人ぐらいいましたか。
鈴木:毎年学習者の数が違いましたので、年によって違いましたが、日本人の先生がだいたい20人前後と主任・副主任の先生がいました。インドネシア人の先生もいました。国際交流基金からの派遣ですから労働条件も良かったです。

−それはそうですね。給料はどうでしたか。
鈴木:12万くらいだったと思います。支度金も出ますから平均すると20万ぐらいになるのではないでしょうか。でも7か月だけの仕事なんです。

−それは困りますね。
鈴木:そうなんです。年に7ヶ月しか働かないというわけにはいかないですから、続けたかったんですが辞めました。3回行って辞めました。帰国後はインドネシアで教えていた学習者たちが日本に来たので豊田市にある研修所で6か月教えました。でも日本で教えるよりインドネシアで教えていたほうが良かったです。

−でも知っている子たちに教えたんでしょう。その子たちは看護師の仕事のために来ていたんですね。
鈴木:ええ、半年間国内研修をした後、全国で働くんです。研修は横浜や大阪で行われることもありました。

 

インドネシアで_鈴木3
インドネシアで日本語を教える鈴木ちひろさん(前列中央)

 

−インドネシアでの生活は今まで行った韓国や中国に比べてどうでしたか。
鈴木:外国なんですが、周りは日本人ばかりでしたから外国にいる気がしませんでした。中国も韓国もほとんどまわりに日本人がいなかったので大変でしたが、インドネシアでは分からなければ日本人に聞けましたし。

−そうですか。インドネシアの子たちってどうでしたか。優秀な子ばかりでしょう。
鈴木:マッチング後の日本の病院が選んだ人たちですから優秀だと思いますが、日本語の語学センスがなかな厳しい人もいました。インドネシアの看護師の資格があることが条件でしたが、日本と違って国家試験がないため学校を卒業したら資格がもらえるんです。大学をちゃんと卒業しているのでお金に困っていた人はいなかったと思いますが。インドネシア中から集まっていたのでかなり田舎出身の人もいました。

−そうですか。一クラス何人ぐらいですか。
鈴木:日本の介護施設は人が欲しいからか、候補者は毎年増えて行って、最初に行った時は14、5人だったんですが、最後の時は20人ぐらいいました。

−20人ならまあまあですね。それに一生懸命ですから教えやすかったでしょう。
鈴木:そうなんです。それにその時の主任が素晴らしい方でその方がいらっしゃったからうまく回っていたんだなあと思います。

−そうなんですか。1クラス1人で担当するんですか。
鈴木:いいえ、1クラスを日本人の先生4人とインドネシア人の先生がチームになって2クラスを担当しました。日本人の先生は午前、午後をそれぞれ1とすると全部で4持ちます。

−じゃあ、楽だったでしょう。
鈴木:それが結構大変だったんです。例えばテストを作ったらチームの全員にチェックしてもらって、更に主任と副主任のチェックが入るんです。チェックが厳しいので、修正の指示が出て、また直して提出する作業とか、毎日20人分の宿題の〇つけをしてフィードバックしたりしなければならなかったので忙しかったです。きめ細かに仕事をしていました。ディクテーションやテストもありますし、チェックの時間で半日かかりました。

−それは大変でしたね。
鈴木:ええ、でも5時半には帰りましょうと言われていました。ジャカルタは凄い渋滞で帰るのに2時間かかったりするんです。家に着くと7時半ぐらいになっていたことも結構ありました。

−何で帰るんですか。タクシーですか。
鈴木:みんなで専用バスで帰ります。そこで雇っているバスで、それぞれの宿舎に行くバスがありました。私達の宿舎の場合は5時半と6時半に出発していました。1時間ぐらいで帰れることが多いのですがひどい時は3時間もかかりました。

−それは大変ですね。途中でトイレに行きたくなる人もいるでしょう。
鈴木:だから途中で降りてトイレにより、タクシーで帰る人もいました。

−じゃ、朝も早く出る様でしょう。
鈴木:7時10分だったかしら。でも朝は夕方ほど混んでなかったです。日本と違って道が直ぐに曲がれないので大回りして時間がかかりましたが。

−どういうことですか。
鈴木:車線は広いんですが、曲がる時にUターンしなければならないところが多くて、またそこがすごい渋滞なんです。

−私もジャカルタに行きましたが気が付かなかったです。
鈴木:毎日同じ道を通っているから分かるんです。

−それは困りますね。
鈴木:私が行ったころは交通インフラがなくてまだ電車の上に人が大勢乗っていてそれでよく死ぬって言われていました。日本の地下鉄の古い車両が地上を走っていましたがあちこちに電車があるわけではなかったです。駐在等で来ている日本人はほとんどローカルの電車には乗らなかったと思います。普通の駐在で来ている日本人は自家用車で運転手に今日は〇〇に行ってと頼むと言っていました。

−そうですね。インドネシアに行っていた人がそう言っていましたね。お祈りの時間が困ったとか。
鈴木:そうなんです。授業の間にもお祈りの時間がありました。それにおやつの習慣がありましたから、最初に行った時にはおやつの時間もありました。学生は3食研修所で食べていましたが、さらにおやつまで出ていました。

−研修所だから寮もあるんですね。おやつはどんなものが出るんですか。
鈴木:激アマのココナツをまぶしたまんじゅうとか、毎日違う物が出てきて嬉しかったですけど。午前と午後2回食べるんです。

−そんなに?
鈴木:だからみんな太るんですよ。

−8時45分から12時までの間におやつを食べるんですか。
鈴木:ええ、2コマ目と3コマ目の間に15分ぐらいの休憩があってそれがおやつの時間でした。お昼休みは1時間半あってその時にお祈りをしていたそうです。金曜日は男の人はモスクに行きました。

−男の人もいるんですか。
鈴木:勿論です。大勢いました。男の人はモスクに行かなければならないから金曜の午前の授業は11時半に終わりました。午後の授業はいつもと同じように1時半からでしたが。

−モスクから戻ってきてからまた勉強するんですか。
鈴木:ええ、でも学校内にモスクがありました。お祈りの時は足を洗ったり…女の人も着替えていました。

−女の人はモスクに行かないでしょう。
鈴木:でもお祈りはしますから、お祈り部屋がありました。

−そのたびに着替えるのは大変でしょう。
鈴木:もしかしたら上からお祈りの服をかぶっていたのかもしれません。お祈りの様子などは見てはいけないと思い、見ていないので、はっきりしないんですが。

−それはそうですね。
鈴木:大きい赤ちゃんのようでした。私が見たお祈りの服は可愛いらしく、頭からかぶっていましたから。

−私はイスラム教のことを知らなかったからシンガポールでモスクへ行って誰もいなかったから入っちゃったんですけどいけなかったですよね。
鈴木:金曜日の11時半の礼拝の時はいけないですけど他の時は大丈夫だそうです。今勤めている日本語学校でもバングラディシュからの留学生は「先生、金曜だから遅刻しちゃう」なんて言ってきています。

−そうですか。いろいろありますね。他の国の学生はどうですか。
鈴木:ベトナムの人はなかなか伸びないですね。ベトナムで勉強してきたままで…。時々上手になる子人はいますが、ほとんどが働きに来ている印象です。勉強したい気持ちはあるんですが、勉強より仕事だから…。

−勉強すればできるのに。
鈴木:そうなんですよ。バイトで使う人はバイトの日本語が上手になりますが。

−ヤマトなんかベトナム人ばっかりだからそれもできないし。
鈴木:ヤマトはしゃべらないって言っていました。

−しゃべっちゃいけないんですか。しゃべったら上手になるのに。
鈴木:そうですね。

−まだまだお聞きしたいことがありますが、またの機会にします。鈴木先生いろいろ経験なさっていい人生でしたね。これからも頑張ってください。ありがとうございました。
(2019年6月24日掲載)