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中国留学と韓国での仕事


 鈴木ちひろ (日本)

−鈴木先生はどうして日本語の先生になったんですか。
鈴木:日本語の先生になったらいろいろな国の人と日本語で話せると思ったんです。

−私もそういう錯覚を起こして日本語の先生になったんです。
鈴木:中国に留学していたんでが、その時クラスに色々な国の人がいて、いろいろな国の話やクラスメイトの意見を中国語で聞いて、とても面白かったんです。クラスにはラオスの人が4人ぐらいいました。ラオスの人に初めてあいました。

−私はあったことないですね。
鈴木:ほかにもタイ人、コンゴ人、イタリア人、カナダ人、インドネシア人もいました。韓国人が一番多かったです。中国語ゼロで行ったので、日本人だから嫌なことを言われていたと思うんですが、わからなかったんですよ。

−幸せでしたね。そのころだったらぼろくそに言われていたでしょう。何とか博物館もあったでしょう。
鈴木:そこは行きました。虐殺記念館。

−どうでしたか。子供達も来ていましたか。
鈴木:ほとんど人がいませんでした。田中真紀子さんが来たという大きな掲示がありました。

−ハワイにもそんなところがあって映画を見ながらジャップをやっつけろなんて唱和していましたよ。
鈴木:そうなんですか。知らなかった。

 鈴木ちひろさん
鈴木ちひろさん


−今は違うと思うけど。それで日本語の先生になる時は420時間の養成講座を受けたんですか。
鈴木:ええ、神戸で養成講座を受けて、神戸の日本語学校で非常勤講師として働いていました。なかなか専任の口が見つからなったんです。

−先生が余っていたころですね。
鈴木:そうなんです。神戸ではボランティアもしていました。

−神戸はいろいろ外国人が多いでしょう。
鈴木:ええ、でもその学校は中国人ばかりでした。ボランティアでは中国人、アメリカ人、ジャマイカ人も教えましたね。ジャマイカの方は英語を話しました。教える時は主に日本語でしたね。英語は少し。

−その日本語学校の後どこで働いたんですか。
鈴木:韓国に行きました。

−韓国はどうでしたか。
鈴木:ソウルのイデというところで働きました。貴重な経験ができたと思います。

−イデ?
鈴木:梨花女子大があるところです。日本語学校ではなく、もともと色彩心理の学校で、そこの理事長先生が日本が好きで、色彩心理の先生を日本から呼んできていたんです。通訳を通してコミュニケーションしていたので、自分たちが日本語ができたら便利だろうと考えて日本語学校を創っちゃったんです。

−なるほど。
鈴木:日本語の先生は誰もいなくて私一人で教えたんです。

−韓国語は?
鈴木:わからなかったです。なんでも一人でしたので大変でした。周りに日本人が誰もいなかったのでかなりサバイバルでした。池袋の日本語学校からの派遣という形でした。池袋の学校は、留学生の募集をエージェント抜きでやりたかったらしいです。でも日本に留学するような人は来なかったです。

−色彩心理の学校だからですね。
鈴木:ええ。

−ファッションの学校なんですか。
鈴木:いいえ、子供達に絵を描かせて今どんな心理状態なのかを知り、絵が変化するのを観察するようでした。そこの理事長先生がその専門家でした。日本語が少し話せましたが、その人しかいなかったので大変でした。好きなように教えていいと言われたので好きなようにやらせてもらいました。

−それはよかったじゃないですか。
鈴木:ええ。当時は凄く働きました。毎日月曜から金曜まで朝は9時半ぐらいから1時ごろまで、夜は6時から10時ぐらいまで授業でした。

−間の時間は何をしていたんですか。
鈴木:ご飯を食べたり授業の準備をしたりしていてあっという間に過ぎてしまいました。

−お給料はよかったですか。
鈴木:20万ぐらいでしたし、部屋もソウル駅まで10分ぐらいの所でその費用も出してくれました。

−それはかなりいい条件ですよ。
鈴木:駅の目の前のビルでしたし、恵まれていたと思います。

−目の前じゃなければ危ないでしょう。10時まで働いているんだから。
鈴木:そうですね。いろいろ良くしてもらいました。

−生活はどうでしたか。
鈴木:言葉もわからないのに全てを一人でやらなければならなかったので、生ぬく力がついたような気がします。

−韓国に一年いたら韓国語はできるようになりましたね。
鈴木:独学で勉強し、生活する上での言葉はなんとか話せるようになりました。韓国人ばかりですから話すより仕方がなかったので。周りの人が話していることも気になしたし、でも使わなくなったらすっかり忘れてしまいました。

−日本の大使館には行きましたか。
鈴木:大使館は行ったことはないんですが、国際交流基金には行っていました。図書館があってそこで教材を探したりしていました。

−日本人と知り合いましたか。
鈴木:出会う機会がほとんどありませんでした。日本人アーティストのライブに行った時、短期留学に来ていた女の子。友達の紹介で韓国人と結婚した女の子とぐらいですね。それより友だちに日本語が上手な韓国人を紹介してもらって…その方がとてもよく助けてくれました。それから高校の同級生の仕事の取引先の方が、ご飯を御馳走してくれたりしました。でも彼らは誰も日本語がわからないので、片言の英語で話しました。韓国の人は繋がりを大事にするので、友達の友達という関係でもとてもよくしてもらいました。

−それはよかったですね。
鈴木:繋がりと言えば、韓国に行こうと思った理由の一つが、中国で留学していた時のルームメートが韓国人で、とても仲良くしていたからなんです。

−じゃ、中国語で話すんですか。
鈴木:そうですね。でもその子とても頭がよくて日本語も少し話せるし英語も話せますから。

−そうですか。中国留学はどうでしたか。
鈴木:日本人は大体日本で勉強してから行くんですが、私はゼロで行ったので何もわからなくて、発音のクラスから入りました。発音をみっちりやってもらいました。

−それはよかったですね。
鈴木:そうなんです。もう忘れましたけど。でもその時はポイントが理解できました。当時は中国の人とコミュニケーションを取りたいというより買い物できればいいというぐらいの考えでした。

−何年でしたか。
鈴木:1999年でした。南京師範大学という大学です。アフリカ系の人がとても多かったです。国費留学生が多かったです。ラオスの人も国費留学生でした。

−優秀かつ親もそれなりの人だったでしょう。
鈴木:そうですね。優秀な人が多かったと思います。親はわかりませんが。

−クラスは何人ぐらいですか。
鈴木:12、3人ぐらいでした。

−それじゃ、仲良くなりますね。
鈴木:でもその後みんな別々の大学に行くのでバラバラになってしまうんです。その時一緒だった人とは今でも仲良くしています。中には一緒にベトナム旅行した人もいます。

−留学するってそういうことですよね。いろいろな国の人と友達になれるのはとてもいいことです。
鈴木:その時のベトナム旅行はいろいろなつながりでアメリカ人やブラジル人も一緒でとても面白かったです。

−友達の友達は友達ってことよね。先生面白いことをいろいろ経験してきましたね。良い人生だったじゃないですか。
鈴木:ええ、恵まれていたと思います。

(2019年5月2日掲載)