日本体験 外国体験 Experiences in different cultures
space
| 181 佐々木英夫 | 戻る back <<
 

中国で暮らして 2


 佐々木英夫 (在ペルー)

−そうですか。どこに住んでいらっしゃったんですか。
佐々木:学内に外国人教師寮がありました。中国での生活は楽しかったです。それに日本語を教えるために学んだことも多かったです。日本人が日本語を教える方法よりも英語の先生が英語を教える方法がとても役立ちました。英語の教授法にはやはり多くの蓄積があると思うんです。

−そんなに違いましたか。
佐々木:そうですね。コミュニケーション力を使って教える方法は日本人より冴えているなあと思いました。日本人の先生方のやり方はまあ私と同じようなものですし、やはり彼らは語学を教える方法を持っているなあと思いました。

−英語を教える資格もありますよね。なかなか取れないそうですが。
佐々木:そうですね。

中国富士日本語学校オープニングセレモニー

中国富士日本語学校オープニングセレモニー(佐々木氏提供)



−日本語学校を創ってからどうでしたか。順調でしたか。
佐々木:そうですね。大学の先生が教えているというのが問題になりましたね。テレビで宣伝したりしたので目立ったんです。大学の上の人に学校の顧問になってもらったり中国人の大学の先生に講座を開いていただいたり宴会をしたりしたので落ち着きました。その後は仲良くやっていけましたが。

−楽しかったでしょうね。ご家族は?
佐々木:別居していました。それが長すぎたのか家族から帰って来ないと家庭が崩壊すると言われて本当はもっといたかったんですが帰国しました。

−家族のほうが大事ですからね。でも奥さんも行けばよかったのでは。
佐々木:働いていましたし、地方都市だと学校がないのでみんな単身で来ていましたね。

−単身でどんな生活をしていたんですか。
佐々木:そうですね。やっぱりよく飲みに行っちゃうんです。また中国ではお昼ご飯に行ってビールなんかを飲んじゃうんですよ。そうすると午後の授業が・・時々は気持ちが悪くなっちゃって・・学生たちも気が付いているんだろうけど、気にしなくて・・大らかでしたね。

−ほかの先生方は?
佐々木:みんなそうだったから。学長さんたちも一緒の時もあったし。

−お給料はよかったですか。
佐々木:現地の大学の先生と同じぐらいでした。6・7万円だったと思いますが。

−物価も安いから大丈夫だったでしょう。
佐々木:食べていくには十分でしたが貯金するほどではありませんでした。他の人より交際費がかかっていたこともありますが。

−会社と日本語学校がなかったら苦しかったでしょう。
佐々木:そうですね。付き合いをしなければいいでしょうけど。

−そういうわけにもいかないでしょうし。中国社会って溶け込むのは簡単でしたか。
佐々木:そうですね。ビジネスの場合は難しいこともありましたね。商習慣が違いますから、何かをしてもらうためにはこちらも何かをしなければならないとか、それは日本とは違いますから、相手の求めていることを察知しなければなりませんから日本人には難しいと思います。でも。私の場合は問題はやはり語学だったんです。韓国語だったらわかりますから、会社のメインのスタッフは朝鮮族を置いていました。でも中国の人とは直接話せなかったので誤解もあったと思います。一番大変だったのは経理の人が学生を募集してお金を集めて逃げちゃったことです。

−えっ。
佐々木:日本でも大変なことになると思うんですが、あちらではテレビ局の人が来たり、親も大金を返してくれと警官と一緒に来たんです。勿論お金を払って決着が着いたんですが、民族性なのかどうかわかりませんが、パソコンまで持って行っちゃうんですよ。中にデーターが入っていたからその後の事務処理に困りました。

−経営者は動じないんですか。
佐々木:まあ、お金も払ってくれましたし、特に困りませんでしたが新聞に校長佐々木英夫と名前が載りましたから嫌だったですね。

−大学から何か言われませんでしたか。
佐々木:それは大丈夫でした。顧問を雇っていましたし、大学や市の職員も雇っていましたから大きな問題にはならなかったです。

−日本語学校をやるのにそういう人を雇わなければうまくいかないってことですね。
佐々木:そうですね。雇わなくちゃいけないということではないんですが、何かあった時にいろいろ助けてもらわなくちゃならないですから。

−そういうことですか。いろいろありましたね。他にも何かなさったんですか。
佐々木:まあ。4年間の間、学校だけでなくビジネスの世界にも飛び込みましたから面白かったですね。

−ビジネスですか。
佐々木:日本人のほうが信用されるからと言われて貿易会社の社長になりました。それで益々飲み会が増えちゃって。

−どんなビジネスでしたか。
佐々木:日本の特殊な機械の販売代理店です。計測器です。たくさん売れなくても大丈夫なんです。

−でも何人も雇っていたんでしょう。
佐々木:でも実質的な経営者がいて僕は会議や宴会に出たりするだけだったんです。日本人のトップが必要というだけで雇われていたので実際の難しいところは私はやっていなかったので。

−そうですか。会社で働いていたのは中国人ですよね。
佐々木:ええ、でも朝鮮族の人が多かったです。

−彼らは中国人と違いましたか。
佐々木:商売が上手です。中国人もそう思っていたようです。良く言えば頭がいい、悪く言えばずる賢いというイメージを持たれていました。

−ほかの民族はいなかったんですか。
佐々木:ほとんど朝鮮族だけでしたね。あと北朝鮮の人たちがいましたね。彼らは金払いが良くて。高級な物をたべさせてもらったこともありました。ちょっと違った雰囲気がありましたね。

−朝鮮族って優秀なんですか。
佐々木:そうですね。当時日本や韓国の企業が進出していましたが、その時韓国の企業は当然朝鮮族の人を雇っていましたが日本の企業の通訳をする人たちも朝鮮族の人が多かったです。朝鮮族の人は日本語を直ぐにマスターするんです。彼らはその時にかなりお金を稼いで全国に散らばって行きました。今はそうでもないでしょうが。

−朝鮮族も少数民族ですから暮らしにくいんじゃないんでしょうか。
佐々木:そうでもないですよ。みんないい暮らしをしていましたよ。

−その時の経験も日本語教師として教える時に役に立ちますよね。
佐々木:上級ならそうですね。

−日本人と随分違うなあと思ったこともありますか。
佐々木:結構仲良くしていたのであまり・・でも最初のころは違和感がありました。列に並ばないとか割り込んでくるとか。でも段々気持ちがわかって来たんです。

−何で並ばないんですか。
佐々木:規則通りに並んでいたら乗れないんですよ。

−乗れないって。バスとか?
佐々木:ええ、我先に行こうというのはしょうがなかったんだなあと思いました。バスで奥の人が降りますというので降りてあげたらドアが閉まってしまって乗れなかったことがありました。だからそういう時中国の人は絶対に降りません。

−じゃ、降りられないでしょう。
佐々木:だからそこに闘いがあるんです。それはマナーが悪いとかいうのではないんです。そうせざるを得ない状況があるんです。

−なるほど。ではトイレに並ばないのは?
佐々木:それはわからないですが。それに独特の人間関係がありますね。

−お年寄りを大切にすると聞きました。
佐々木:そうですね。バスでよく席を譲っているのを見ました。儒教の影響かどうかわかんないですが。

−いいですね。そのほか中国人のどんなところがよかったですか。
佐々木:正直な気がしますね。
−そうですか。

(2018年8月11日掲載)