日本体験 外国体験 Experiences in different cultures
space
| 180 佐々木英夫 | 戻る back <<
 

中国で暮らして1


 佐々木英夫 (在ペルー)

−佐々木先生はどうして日本語教師になられたんですか。
佐々木:どうしてでしょうね。元々は一般企業にいて海外駐在員だったんです。

−どんなところで働いていらっしゃったんですか。
佐々木:大学院を出てから数年して、事務所を立ち上げるというのでニューヨークに行きました。そこに6年ぐらいいました。バブルがはじけて会社から日本に戻ってくるように言われたんですが、戻りたくなくてメディア関係の会社に移りました。丁度韓流ドラマが人気だったのでこれからは韓国だということになり、それから韓国に行って3年ぐらい過ごしました。

−それで韓国語ができるんですか。
佐々木:昔から韓国語はちょっとはできましたが。

−一般企業にいてどうして日本語教師になろうと思ったんですか。
佐々木:その後その会社が駄目になったので日本に戻ってきました。その会社の取締役だったんですが、戻ってみると他の経営者たちは逃げてしまっていたので、半年ぐらいは債権者たちとの交渉にあたりました。そういうドロドロした環境と離れてまた外国と関係がある仕事がしたいと思うようになりました。それで日本語教師になるためにNHKの日本語教師養成講座に通いました。

−NHKに養成講座があったんですか。
佐々木:ええ、私たちが最後の期でした。それでNHKの元職員の人や凡人社の社長などと一緒に別の組織を立ち上げることにしました。NPO法人を作ったんです。そして事務方を引き受けることになりました。その時ある財団から中国へ行ってみないかと誘われたんです。それで中国で2年間は最初の日本語学科の立ち上げに協力しました。

 

ペルーで講師を務める

講師は佐々木英夫さん


−そうですか。
佐々木:上海の近くの大学に行ったんですが、そこで日本語学科を立ち上げたんです。日本人の先生としては初めてでしたから何でもしましたから結構重宝がられました。

−そうですよね。その時中国語はできたんですか。
佐々木:できなかったんです。事務方とは英語で話しましたし、授業は直接法ですから問題なかったです。

−そうですね。
佐々木:日本語学科の学生の授業はよかったんですが、教養科目の外国語としての日本語というのがあったんです。それは大教室で300人ぐらい一緒にやるんですよ。会話の授業なんかがあってどうしたらよいのか悩みました。

−初めて日本語教師として働いたんですよね。経験もないし、どうやって教えたんですか。
佐々木:そうなんですよ。マイクやプロジェクターを使ってなんとかやり切りました。まあ上手にはできなかったかもしれませんが。

−最初は誰でもそうですよ。それにそんなに大勢では無理だと思います。
佐々木:日本語学科の学生とはよくコミュニケーションが取れましたが、大教室の授業にはびっくりしましたね。

−300人はないですね。テストもしたんですか。
佐々木:ええ、さすがに会話のテストはしませんでしたが、普通のテストはしました。

−日本語を習おうとするような学生は親日的ですね。印象に残った子はいますか。
佐々木:そうですね。300人の授業ですごく上手になった子がいますね。

−1年間でですか。
佐々木:1年間でです。ですからビックリしました。一人の英語学科の学生でした。夏休みの前ぐらいに「私、語学に興味があるんですが、どうやって勉強したらいいですか」と聞いてきたんです。それから夏休みに自分で勉強したようです。時々手紙を送ってきましたが。

−まだ手紙の時代だったんですね。
佐々木:メールもありましたが。夏休みが終わって2か月後には結構しゃべれるようになっていました。その年に1級を取りました。

−1級ですか。すごいですね。頭もいいんでしょうね。
佐々木:そうですね。独学で1級を取りましたから語学のセンスがあったんでしょうが。そのあと北京大学の英語学科の大学院に進みました。

−そうですか。中国の学生たちは先生に対してとても礼儀正しいと聞いていますが、どうでしたか。
佐々木:そうです。よく講義を聞くし、静かだし、どうして日本語学校ではそうならないのか不思議ですね。100%出席するしね。それに優秀でしたね。2年生で半分ぐらいは1級を取っていましたから。3年生ではほとんど1級を取って本当にすらすらなんでも言えますから。

−ほかの学生たちも真面目でしたか。
佐々木:本当に真面目でしたから授業で苦労した経験はないですね。むしろ日本にある日本語学校のほうが大変です。日本語学校の学生はどうしてこうなっちゃうのかなと思うほど勉強しなかったり、居眠りしたり、休んだりしていますが、やはり悪い方に染まっていくんですね。

−そうですね。それに比べて中国の大学生は教えやすかったんですね。
佐々木:日本の高校生のようでしたよ。大学と言っても日本のように授業を色々自由に選択するのではなくクラスが決まっていてほとんど選択科目がないのでいつも一緒に授業を受けます。

−クラスは何人ぐらいですか。
佐々木:50人ぐらいです。ですから欠席なんか考えられないです。寮ですし、時々寝坊する人がいるぐらいです。授業の準備もよくします。特に感心したのが朗読です。朝、6時ごろ校庭に行くと日本の教科書を大きな声で読んでいるんです。

−それがいいんですよね。
佐々木:古臭いという人もいますが、意外とそれがいいんです。とにかく声を出して読む習慣がありました。そうやれって言われたのかもしれませんが、これで上手になるのだと思いました。

−繰り返しが大切ですよね。
佐々木:いろいろ格好がいい教授法が取り上げられていますが、この方がいいのかなと思います。

−私もそう思います。音読はいいと思いますよ。クラスは男女半数ぐらいでしたか。
佐々木:女性の方が多かったです。語学は女性に向いていると思います。50人中1人ぐらい落ちこぼれるんですが、必ず男子でした。

−そういう子はどうするんですか。退学になるんですか。
佐々木:中国の大学は卒業と学位が違うんです。日本の大学だったら卒業すると学位をもらえますが、中国では違いますからたまに卒業しましたが学位は持っていませんという人が出るんです。

−就職する時に関係ないんですか。
佐々木:関係あります。就職しにくいです。まあ、コネもありますから何とも言えませんが。同じ学年をする子は滅多にいません。日本語学科では一人もいませんでした。

−卒業と学士はどう違うんですか。
佐々木:学士の試験が別にありますから。

−そうなんですか。ところで学生との付き合いはどうでしたか。
佐々木:教師ですから難しい面もありますが、中国の場合は全寮ですから学内に一緒に住んでいるのでやはり親しくなりましたね。遊びに来たり料理を作ったからと招待されたりしましたから。男子寮と女子寮があって1部屋に5、6人で住んでいました。男女で基本的に行き来はできないんですが先生は別に制限されていなかったですから。

−他の中国人との付き合いは大変でしたか。
佐々木:中国はやはり人づきあいが大変というか、まあ韓国も共通しているかもしれませんが。人間関係で物事が運ぶようなところがありますから、お酒飲むのが大変だったというか。週に何回も飲むとか。
−よかったじゃないですか。
佐々木:それが飲み過ぎて入院したこともあるんですよ。私以外は全員中国人なので。

−学校の関係者の方たちから招待されたんですか。
佐々木:それもあったし、そのあたりに日本語学校が一つもなくて普通の人が通えるところがなかったんです。日本と貿易をしている社長さんがいて、お金は出すから日本語学校を作らないかと言われて、学校を創ったんです。その経営の時にいろいろな付き合いがあって。

−それで飲みに行くことが増えたんですね。その学校に日本から先生を呼んだんですか。
佐々木:大学では私が最初の日本人の先生でしたが、その後日本人の先生が来るようになったのでその先生方にアルバイトをしてもらいました。でも主に中国の先生たちで教えていました。
−中国人の日本語の先生の能力は高いですか。
佐々木:高いですね。特に大学の先生のレベルはかなり高いです。昔は大学出ただけでも大学の先生になれましたが、今は日本に留学して修士を取ってもなかなかなれないそうです。やはり博士が必要でしょうね。ネイティブとは違いますが、レベルは高いです。でも韓国はもっと高いです。大学の先生のレベルはすごく高いですよ。
−続く−


(2018年7月11日掲載)