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私のルーツはニッポン


 リー・クリスチーナ (キルギス)

kristina
リー・クリスチーナさん

 私の専門は言語学です。専攻しているのは朝鮮語です。初恋は2年生の時です。私が好きになったのは……日本語です。

 大学に入る時、両親に朝鮮語を勉強するように言われました。私はあまり興味がなかったのですが、仕方なく朝鮮語を選びました。日本語は、第2東洋言語として勉強しはじめたのですが、初めて触れた時から、私は日本語に恋してしまいました。

 私は朝鮮系キルギス人です。でも、祖父は日本人ですから、4分の1の日系キルギス人だということもできます。祖父は今年73歳になります。まだ2歳にもならない頃、母親と二人キルギスにやって来ました。小さかったので当時のことは自分では、ほとんど覚えていないそうです。

 祖父は自分の母親、私のひいおばあさんから聞いた話をしてくれました。祖父の家族は満州の村に住んでいました。ある日、ひいおばあさんが祖父をおんぶして、いつものように近所の人たちと畑仕事をしていたら、突然ソ連の兵隊がやってきて、みんな無理やり列車に乗せられました。そして、何日もかけてウズベキスタン経由でキルギスまでやってきたのです。祖父の名前は「タハラ・マンシュウ」でしたが、キルギスに来てからは ユガイ・ドミートリになりました。朝鮮系として登録されたのです。

 一つの家族が離ればなれになってしまいました。祖父は、父親と姉二人はたぶん無事に日本に帰ることができたと思っています。 日本の家族を探そうとしましたが、できませんでした。父親の名前は思い出せませんが、ハナコとミナコという姉二人がいたことは教えてもらって知っています。

 日本語と出会うまで、私は自分のルーツを意識することはありませんでした。もちろん、自分に日本人の血が流れていることは知っていましたが、日本語にも日本文化にもぜんぜん興味がありませんでした。でも、いまは、日本の歌を聞いていると、なんとなく心優しい気持ちになってきます。日本語と出会って、私の中のニッポンが目覚めたのだとおもいます。

 今、私の夢はいつか日本へ行くことです。日本へ行って、祖父の親類に会うことです。日本の人々に、中央アジアのキルギスに今でも遠い昔はなればなれになった家族のことを懐かしがっている日本人がいることを伝えたいと思っています。
(2018年5月28日掲載)