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遡る記憶


 イマンクロワ・アリーナ (キルギス)

Alina
イマンクロワ・アリーナさん

 どうしてだろう? どうしたんだろう? 忘れたいのに、またまた悪夢に遡って、遡って... 和やかな、人が多い町、輝く夏の太陽、青い空には突然、暗雲が立ち籠めます。立ち止まり空を見上げ問い掛けます。[何だろう。悪い予感がする]。心がドキドキしてたまりません... 誰かが、かつての世界の最期の刹那を呪文のように、 [1、2、3、20] 唱えます。微かな、無情の声。嘲笑うかのように、頭の中でサイレンの音が響いています。現実では一本の草さえ揺れないほど静寂です。

 その悪夢に一生にわたって悩まされています。戦争、広島、私はある男の子を守ろうとしています...自分も男性です。その子供のことを知らないはずなのに、何か悪い予感を強く感じています。いくら危なくても、いくら怖くても、救わなければなりません。心は恐怖に引き裂かれそうです。私と彼の鼓動は同じです。息子ではありませんが、生みの親のように感じます。悲劇は私たちを親しくしました。

 男の子に死んでほしくないです。その子は私と手をつないでいて、信じてくれています。そう、結局、原爆が落ちた瞬間、私は自分の体でその子をかばいました...。爆発の眩しい光が煌めいて、私を包んで、世界は暗闇になりました。

 私たちは生き残ったのでしょうか?  それは分かりません。でも、夢の中の景色は変わりました。子供と一緒に川の向こうの火災から逃れていました。 時々、そんな夢を見るのです。忘れたいですが、なかなか忘れられません。

 度々広島の悪夢を見る理由について思い出そうとします。ある日、友達に 「何回も同じ夢を見るのは変じゃない?  それは偶然じゃないと思う! もしかして凛ちゃんは、前世は日本人で、広島で死んだのかも知れない。」と言われました。友達の言葉を聞いてから、その謎をもっともっと解きたくなりました。でも、まだ本当の答えは見つかりません。

 私は、自分が広島を訪れることができるとは、夢にも思いませんでした。二年前あるコンクールに参加しました。優勝者の賞品は日本へのチケットでしたが、残念なことに入賞することができませんでした。そのとき、もちろんがっかりしました。

 けれど、今ではよかったと思います。どうしてかというと、そのときのコンクールの優勝者になっていたら、広島へ行くことができなかったからです。去年、別のプログラムでようやく日本に行くことができました。広島訪問も予定にありました。最後の瞬間まで広島へ行くということが信じられませんでした。

 広島の原爆ドームのことは、思い出すだけでも恐ろしいです。禎子ちゃんが作った小さな鶴、血塗れの人間の彫刻は... 手の皮膚が切れ切れのように垂れ下がって、顔には奈落の苦しみが表れていました。前方に手を伸ばした、どこかに彷迷った彫刻は生きているようにさえ見えました。目を背けても、果てない痛みから遠く遠く逃げたくても、見ずにはいられませんでした。「皆さんに明日は来ない。私は、二度とかつての私になることはない (I’ll never be the same)」頭に浮かんで、男の子のことを思い出しました。涙が溢れて、目眩がして、惨いデジャブを感じました。遡る記憶は生き返って、遠い、何回も見た夢は現実になりました。つまり、その衝撃といったらありませんでした。もしかしたら、それは本当に、前世の心の記憶なのでしょうか?

 原爆ドームの近くに、ひとりの男の人がいました。服装からすると彼は会社員でした。その人は掌を会わせて、悲しげな様子で平和の灯の前に立っていました。彼の心の痛みは私に伝わっていました。「そんな酷い罪悪を絶対に許せない!」と感じていることが分かりました。嗚呼、広島の悲しすぎる悲劇は胸に永遠に残ってしまいました。でも、いちばん嫌だったのは、原爆ドームの前で微笑んで写真を撮った人々でした。それは絶対に駄目なことだと思います。そのような行動をすることは被爆者の気持ちをふみにじることにほかならないのではないでしょうか?

 今もなお、世界では戦争が続いていて、核兵器が使われる恐れはいつもあります。なぜ大人は簡単な、子供さえ分かることが分からないのでしょうか?

 そして私はなぜ広島の悪夢を見て、涙だらけの顔で起きるのでしょうか? なぜ私の心はさめざめと泣くのでしょうか? 夢にせよ、現実にせよ、私は広島の苦悶を見ました。人類はこのような悲劇が再び起こることを、決して許してはなりません。
(2018年4月17日掲載)