日本体験 外国体験 Experiences in different cultures
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インドネシアで暮らして


 K (日本)

 


−今日はインドネシアの生活について伺いたいと思います。
K:インドネシアには主人の仕事で行っていました。

−どんなところに住んでいたんですか。
K:爆破されたホテルの近くで欧米人が多いところでした。

−やっぱり分かれて住んでいるんですね。
K:そうですね。コミュニティごとに固まっていますね。日本人は日本人学校に近いところとか。そういうところには日本のスーパーやレンタルショップがありますし便利なんです。

−豚肉とかは売っていないんですか。
K:欧米人や日本人のスーパーにはありますが、地元のスーパーには置いていないです。

−お酒は?
K:お酒は原則外交官しか買えません。日本人も買えません。

−本当に?
K:欧米系の町のデューティフリーみたいなところで売っているんですが、当時は売ってくれませんでした。それでみんな帰国した時に買って来るんです。もちろん、他にも買える方法があったようですが…。

−インドネシアは厳しいですね。マレーシアなんか売っていたと思いますよ。まあ、中国系の人が多いからかもしれませんが。
K:そうですね。でもお店にはあるんですよ。店の人が裏で手に入れるようです。

−やっぱり、そうですか。インドネシア人も飲んでいますか。
K:欧米で暮らした人とかカトリック系の人は飲んでいましたね。レストランで飲むしかないですから特に日本人は大変でしたね。
−いつもレストランに行くわけにはいかないですものね。

−ところでインドネシアではたくさんの人を雇うと聞きましたが。
K:ええ、運転手さんとお手伝いさんです。メイドさんは何人も雇わなければならないんです。
−そうですか。
K:料理専門、掃除や洗濯をする人、子どもの世話をする人に分かれています。

−じゃあ、奥さんは何もしなくてもいいってことですか。
K:そうですね。私は主人の仕事の関係でいろいろしなければならなかったのですが、普通の方はほとんど趣味、語学や文化系の習い事をしていました。それからヘリテージソサイエティでの活動とか。

−それは何ですか。
K:世界規模であるんですが、その国の文化を広く伝える活動です。各国の婦人が集まっています。国によって違うかもしれませんが、大使夫人とか語学が堪能な駐在員の奥様たちが、言語を紐解きながらその国の文化を日本語にしてきたんです。

−ではインドネシアに限った活動ではないんですね。
K:そうだと思います。博物館とかその国の音楽や織物や染色などを紹介しています。

−その国独自の物がありますからね。
K:まだ翻訳がない時代から集まって辞書を使いながら各国の様々なことをまず国立博物館それから日本人学校の子どもたちに伝えたのです。

−ところで現地の人たちとの交流はありましたか。
K:私はボランティアグループに入っていました。インターナショナルウィメンズクラブというグループもありました。

−どんなことをするんですか。
K:例えば学校に行っていない子どもに勉強を教えたりとか割礼するお金を集めたりとか。

−割礼させる必要があるんですか。虐待じゃないんですか。
K:虐待だと言って泣いていたニュージーランド人もいました。宗教上のことですけど。

−お子さんの教育はどうでしたか。
K:当時はインドネシアは世界三大インターナショナルと言われていて、水準がとても高いんです。それに進学塾が入っていて塾が日本人学校にバスを出すんです。大型バスが何台も学校に来ます。だから帰国してからの受験も心配ないですよ。

−受験のために随分前から帰ってきたという話もあるのにインドネシアは大丈夫なんですね。
K:ええ、インドネシアの駐在の子どもたちは優秀でしたね。

−そうですか。
K:それで当時は日本人学校がなくなる高校からインドネシアのインターナショナルに入れる人もいます。お帰りになったりシンガポールに早稲田があるのでそこに行かせたりもしますが。そこは上位10%ぐらいしか早稲田に行けないんですが、寮があるのでシンガポールに出しちゃうと転勤があっても安心なのでお金がある方はそちらに入れています。スイスのスイス国際やニューヨークの慶応に入れる方もいます。慶応なら慶応だけじゃなくアメリカの有名大学にも行けますから。

−インターのレベルは地域にもよるんでしょうね。
K:ええ、今、中国も凄いですよ。熱心な親たちがいて。またアメリカの東海岸地域のお母さんたちも熱心ですよ。

−アメリカに行った子たちは英語ができるようになるからいいですよね。
K:そうです。アジアに行った子どもたちが可哀そうすぎるんです。ドライバーやメイドは現地の言葉しかわからないから。英語ができる人たちは給料が高いし、ヨーロッパ系の仕事に就くんです。アジア系は高い給料は払わないですから。

−じゃ、インドネシア語ができるようになるんでしょうか
K:そうですね。子供も習いますから。まず学校に行く前にプライベートで習ってから学校に行きますし、学校のカリキュラムにインドネシア語があります。

−先生のお宅は日本人学校だったんですか。
K:うちは2人とも最初からインターに入れたんです。休みの時だけ日本人学校に行かせました。インターと日本人学校は学期がずれるのでそうしていました。日本人学校の人達は反対に夏休みにインターに入れて英語を習っていました。

−そうですか。帰国して幼稚園に入れていた人もいました。夏休みが長いから。
K:そうです。インターもそういう子どもたちのために1週間ごとに様々なプログラムを取り入れていました。

−インターだと欧米人の子どももいっぱいいるんでしょう。
K:彼らはお休みになると遊びに行くから結局日本人とかアジア系の人しか集まっていないということになるんです。お金持ちの欧米人は海外に行きますし。

−そうですか。お子さんたちは欧米系のお友達がたくさんできたでしょう。
K:そうですね。でもやっぱり偏見があるし、日本人と言わない限り中国人かどこの国の人かわかりませんし、欧米系は寄ってこないそうです。その壁はなかなか越えられないそうです。

−お二人とも。
K:そうですね。インドネシアには強力な日本人会があってしっかり活動していました。そこに集まって日本語でしゃべったり国別対抗の行事のために、例えばよさこい節を練習しようとかいろいろなことをしています。車をシェアしたりとかもしています。でもうちは日本人コミュニティから離れていたので息子はあまりそこに行かなかった。それで学校でも日本人とは離れてしまって、クラスの中で何かする時も、例えば2人で何かする時にも仕方なく欧米人と一緒になることが多かったそうです。まあ、それが良かったのかもしれません。いろいろな国の人から告白されたりしていましたから結構楽しくやっていたと思いますが、本人は日本人以外は嫌だと言っていましたね。

−そうですか。
K:ほかの国のガールフレンドがいれば英語も上手になってよかったんですけど。とにかくコミュニティーの力は凄いですよ。一緒にいると安心できますし、助けてもらえるし。日本語学校で同じ国の人同士集まってしまうのもわかりますね。

−そうですね。
K:そこに属していないと大変です。宿題もシェアできませんから。でも彼はそれを乗り越えてきたので。

−お嬢さんもそうでしたか。
K:娘はアメリカインターでなくオーストラリアインターに入ったんです。ジャカルタインタースクールというのはアメリカ系なんですが、そこに入るのに小学6年生でグレード7、これは英検2級か1級でなければ取れないんですが、娘には難しかったのでオーストラリアインターに入れました。

−インターにレベルがあるんですね。
K:アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド・インド・・とどんどんレベルが下がっていきます。オーストラリアに入れたんですが同じ学年に日本人が一人もいなかったんです。上か下には一人ぐらいいたと思いますが。そこには韓国人がいっぱいいました。韓国人はほとんどインターに入れるんです。そこに一人だったのでとても大変でした。小学校5・6年とか中学1.2年は感情をはっきり出してくるので、日本人は嫌いと始めは口も聞いてもらえなかったそうです。でもオーストラリア人の友だちができたり、性格がわかってくると韓国の子も打ち解けてくるんですね。最初は日本人ということで離れていてもそのうち一人の人間として見てくれるようになるんですね。日本人でも友だちになるというように変わってきました。でも親たちとの付き合いが大変でした。お泊り会があったとしても「ちょっと」と言われたりしていました。

−大変でしたね。
K:ええ、でも私も国に関係なく招待したり泊まらせたりしたのでだんだんわかってもらえてきた気がします。先日、韓国に行った時にも会いましょうと言うことになりました。でも日本が嫌いなんでしょうか、娘を絶対に日本によこさないですね。

−まあ、そうですか。
K:それから娘が現地のバレエ学校に入ったんですがそれも大変でした。

−スカーフ被ってバレエするんですか。
K:しないですよ。富裕層のキリスト教徒が多かったですし、勿論イスラムの人もいましたが、スカーフは被っていなかったですね。

−そうですか。
K:インドネシアのトップのバレエ学校で、日本のバレエ学校の先生の推薦状で入れてもらいました。初の日本人入団でした。娘はそこでも全部インドネシア語でやっていました。そこに来ているお母さんがたとは普段はお目にかからないんですが、食事に誘われたり良くしてもらいました。発表会やコンクールにも出させてもらいました。

−それはよかったですね。でもバレエを男の人たちも見るのにスカーフしなくていいんですか。
K:お母さんたちは被ってきている人もいました。バレエは足を上げたり普通にやっていましたよ。

−そうですか。
K:バレエも上手にやっていましたよ。文化を取り入れてそっくりに再現する能力があります。バレエだけでなく例えばこのバックでも同じを作ってくださいというと全く同じものが作れます。そういう技術があるんです。日本人にそういうことをやらせようとしてもあまりうまくできないですね。イタリア製のテーブルを持って帰ってきたんですが、傷になっていたんです。それの修復を頼んだんですが、まったく駄目でした。はっきり修繕したところがわかってしまうんです。インドネシア人だったらまったく新品同様に仕上げてくるんです。靴でも洋服でも全く同じものが作れるんです。

−それはすごい技術ですね。
K:それがまた楽しみでした。何百万円もするミキモトのネックレスと同じものを作ってくださいというと現地の材料でそっくりに作ってくれますから。文化という面ではインドネシア独自の物はいいですが、ヨーロッパの物はまだまだです。もっと独創性がほしいですね。

−ところでイスラムの国ですから生活する上で違いがありましたか。イスラムは断食とかお祈りとかもありますから。
K:お祈りが大変でしたよ。何回も休みますから。

−エジプト人の友人は家に帰ってから纏めてするって言っていましたよ。
K:そうですか。でもインドネシアでは、外出も運転手のお祈りの時間を考えて行動しなければならないんです。どうしても移動しなければならない時に携帯で呼び出すんですが、お祈りですから行けませんと言って来ないことが多いんです。

−じゃあ、そんな時はタクシーを使うんですか。
K:そういうこともありますが、私たち自身が早めにお昼を食べるとか彼らのスケジュールに合わせていました。

−でもお祈りの時間ってそんなに長くないでしょう。
K:そうなんですが、ドライバー同士でおしゃべりしていてなかなか帰ってこないんです。ドライバーは私たちが行く場所に合わせて一番近いモスクに行きます。そこでまた新しい友達ができておしゃべりが始まるんです。日本人はケチだとか。日本人はまあその国の標準価格を知っているのでそれに何パーセント足すと計算するのでケチと言われています。でも外国人は違うんですよ。

−チップの国から来ているからでしょうね。
K:ええ、そこで情報交換していてなかなか帰ってこないんです。本当にドライバーが言うことを聞かないことはよくあるんです。こんなこともありました。主人はドライバーが立てついて「そんなことを言うならここで運転止めてやる」と言われたんです。ドライバーは困ると思ってそんなことを言ったらしいんです。「もう辞めてやる」と言ったので辞めて言いといったら本当にびっくりして、彼は脅しのつもりだったのに主人は自分で運転して帰ってきてしまいました。

−その人は首になったんですか。
K:ええ、それにそういうことは直ぐに広まるので仕事を見つけられなくなったと思います。
(2017年11月19日掲載)