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英語を勉強する


 Merissa Park (韓国)

 


−パクさん、日本語を勉強した後はオーストラリアに行ったわね。まだ若かったわね。
Park:今よりずっと若かったけどそんなに若くなかったんです。日本に来たとき26歳だったから。だから28歳の時だと思います。

−その時に日本語はペラペラだったでしょう。英語もできればいい仕事ができると考えたんでしょう。
Park:そうだったんだけど、オーストラリアには日本人がいっぱいで、韓国人も多くて。日本語をしゃべる韓国人も結構いました。だからあまりよくなかったです。

−じゃ、どうしたの。
Park:どうやったら英語が上手になるか考えて、オーストラリア人と一緒に住みました。

−何人ぐらい?
Park:3人。

−いいところを見つけたわね。どうやって探したの?
Park:新聞だったと思います。最初その家は日本人の女性を探していたみたいです。日本人が家をきれいに使ってくれるからだそうです。行ってみたら大家さんの息子がそこに住んでいてオーストラリアの女性が2人いました。その人のお兄さんが日本人と結婚していたから日本人に慣れていたし、その時は韓国人はまだそんなに行っていなかったし、韓国は強い国でもなかったから

―あまり知られていなかったのね。
Park:ええ、それにオーストラリア人は日本人のレベルが他の国より高いと考えて、西洋人と同じように見ていたんです。それで何でも例えばお皿を使ってもこれはmade in Japanですよって言うんです。

−まあ。
Park:私に高い物ですよって言いたかったんだと思います。そこにはご飯をたく釜もあったので生活は便利だったんです。

−息子はオーストラリアで道を歩いていて突然突き飛ばされたことがあったと言っていたけど、差別されなかった?
Park:オーストラリア人はやっぱり白人だから。でも特にありませんでした。

−オーストラリアにどのぐらいいたの?
Park:1年ぐらいです。行って直ぐに病気になって大変でした。

−何の病気になったの。
Park:その家は犬と猫を飼っていて、韓国人は犬はまあまあだけど猫はあまり好きじゃないんです。ところが猫が私になついてきた。嫌なので触らない様にしていたんだけど、猫から黴菌が移ってきて水ぶくれができて病院へ行きました。

―まあ、大変だったわね。 
Park:でも病院は我慢してくださいと言うだけで薬もくれなかったんです。それがどんどん大きくなってズボンもはけなくなったのでまた病院に行ったんです。専門医に診てもらいたかったので紹介状を書いてくださいと言ったんですが、書いてくれないんです。それで困って韓国人の友だちに相談したら韓国人のやっている病院に行きなさいと言われました。それで韓国人の医者に行ったらつぶしたほうがいいけど傷が残るかもしれないと言われました。結局潰したんですが。これです。

−傷が残らなくてよかったじゃない。
Park:ええ、それがオーストラリアに行って1か月ぐらいのことだったので帰りたい気持ちでいっぱいでした。

−私の知り合いもオーストラリアの病院は大変だったと言ってたわ。
Park:でもオーストラリアだけじゃないんですよ。ハーバードの大学院に行っていた韓国人がいつもアメリカはいい、アメリカはいいと言っていたんです。でもお父さんがアメリカで病気になったとき、病院が遠いし、行った病院と保険会社が契約している病院が違ったので手続きが面倒でとても大変だったので、やっぱり韓国がいいと言うようになったんです。

−その人アメリカで育ったの。
Park:そう。

−だから韓国のことを知らなかったのよ。
Park:昔のよくないイメージがあったんだと思います。

−そうね。ところでオーストラリアで一緒に暮らしていた人は白人だったんでしょう?
Park:ええ、みんな働いていました。

¬−じゃ、あまり話す機会はなかったの?
Park:その時は私も英語が上手じゃなかったので話そうとしても話が切れちゃうんです。

−それは残念だったわね。でもオーストラリアでの生活は楽しかったでしょう?
Park:今思えば楽しかったんですが、あまり楽しんでいなかったと思います。

−えっ、どういうこと?
Park:旅行もしたしそれは楽しかったんですが、韓国人や日本人とばかり付き合っていると英語がうまくならないと考えていたのでストレスでいっぱいになりました。

−日本人も英語の勉強に行っているんだから、パクさんと英語で話せばよかったのに。
Park:でも日本語が便利だから、仕方がないんです。日本人と韓国人と旅行していたので英語を話すのは道を聞くときとか、お店で使うとか、車の中で日本語がわからない韓国人と韓国語がわからない日本人が英語で話す時しか機会がなかったんです。それで1年で英語を学ぶのは無理だと思いました。でも生活のことも学んだほうがいいし。

−じゃ、オーストラリアで英語はあまり上達しなかったの? アメリカに行ったときのほうが良かったかしら。
Park:いろいろです。オーストラリアから帰ってホテルで働いていたんですが、その時に出会った人はハイレベルの人ばかりだったんです。アメリカではノースカロライナの田舎に行ったから、教授以外は普通のおじさんおばさんで、ハイレベルの人はいなかったんです。だから食べ物の話とかあまり興味がないことばかりだったので、私の英語の問題ではなく話が続かなかったです。

−どうしてそこに行ったの。
Park:親戚がいたし、できれば韓国人があまりいなくて勉強がしやすいところがよいと思ってそこに決めました。

−どのぐらいいたの?
Park:1年半ぐらいです。日本やオーストラリアで勉強した時とは違って年も取っていたし働いた経験もあったので冷静に何が自分に必要かなど判断できました。

−かなり上手になったでしょう。英語を勉強したの?
Park:大学院で専門は経済でした。

−そう。勉強はどうだった?
Park:あまり面白くなかったし、MBAだったら良かったかもしれなかったんですが、そこの学生は私より英語はうまかったけど、経験がなかったからプレゼンテーションとか作文とかがあまりうまくできないんです。だからいつも私のほうが教えてあげているような気がしました。今考えるとやっぱりニューヨークとかの都会が良かったかもしれません。

−ずいぶん、田舎だったの?
Park:ええ、動物もたくさんいるし。あまりいろいろなことを知らない人たちと話すのは本当につまらなかったです。

−アメリカは広いから自分の住んでいる近くしか知らない人も多いのよね。
Park:ええ、私のほうがいろいろなところに行っているからアメリカのことをよく知っていると思いました。

−寮に住んでいたの。
Park:部屋を借りました。

−じゃ、おじいさん、おばあさんたちは近所の人たちなの?
Park:ええ、一緒に住んでいたおばあさんもいます。

−じゃ、台所で会うのね。
Park:そう。その人は銀行で働いていたんです。何をしていたかはわからないですけど。9時に行って3時に帰ってきていました。

−働いていたの?
Park:働いていたし、孫もいるし、でも一人で暮らしていました。

−そう。
Park:その人は面白い人でした。私が男の子と映画に行った時、帰ってきたら「車は何だったの」と聞かれました。わたしが「覚えていない」と言ったら、「絶対に知るべきよ」と言いました。

−まあ。
Park:「大学はどこを卒業したの」「どこで働いているの」などと聞かれました。「それを知らないで付き合わないほうがいいよ」と忠告されました。どこの国でも同じなんです。

−どこでその人と知り合ったの?
Park:大学です。一回映画に行っただけでした。私のタイプじゃなかったから。

−パクさん、タイプが難しいんじゃないの?
Park:私、恰好がいい人が好きだから。

−日本にいる時ももてもてだったものね。プロポーズもされていたじゃない。
Park:でも結婚しなくてよかったと思います。してもよかったかもしれないけど。私は年取って先生が私たちを教えていたぐらいの年になりましたが、若い時に戻りたくないです。日本にいた時はとても不安だったんです。その時は何をやったらよいかもわかりませんでした。やってもできるかどうかという不安があったんですが、今は自信があるんです。

−若いときはかわいらしいお嬢さんってタイプだったわね。留学する人がいたらどんなアドバイスをする?
Park:私が行ったときは教えてくれる先輩がいなくて、「図書館で勉強しなさい」と言われたりしました。

−図書館で勉強するんだったら留学の必要がないわね。
Park:そうですよ。今、私は1年か2年留学するなら、「いっぱい遊んで来なさい」といいますね。あるいは「外国人の恋人を作ったほうがいいよ」と言います。絶対に英語がうまくなるから。一番いいのは付き合って結婚すること。2番は結婚しなくても英語がうまくなること。3番は1年や2年で英語がうまくなるのは無理だからそこでの生活を楽しむことだと思います。

−そう。いろいろ面白い話をありがとう。
(2017年10月7日掲載)