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イギリスで保存修復を学ぶ(下)


 後藤里架 (日本)

後藤里架さん
卒業式を終えて

−後藤さんのお仕事について教えてください。

後藤:文化財関係の独立行政法人で働いています。でも今の仕事は任期制なので5年経ったら退職しなければならないんです。

−でも奈良とか京都とか働くところはたくさんあるんでしょう。専門職だから給料も高いでしょうし。

後藤:そうでもないです。

−でも好きな仕事をするのは楽しいでしょう。

後藤:ここで働いている人はみんなそうじゃないかと思います。

−そうですか。ところで修復はイギリスが有名なんですか。

後藤:有名と言うわけではないです。東洋と西洋ではやり方が全く違っていて、西洋と比べると東洋はより伝統的で今私が携わっているような屏風とか掛け軸とか巻物とかは昔からやっている工房が修復もやっています。

−日本の技術はどうですか。

後藤:技術は高いと言われています。伝統的な方法でやっているのでなるべく海外でやってほしくないようです。洋書や洋本は和本、掛け軸、巻物とは構造が違いますから、修復の仕方も違います。ですから、海外の人に技術を伝承する必要があります。今私が携わっている仕事では国宝修理装?師連盟などから講師を招いて毎年海外の修復師に東洋の、特に日本の、紙本文化財の修復に関する研修を行っています。研修生はみなさん、巻子(かんす) などを作って帰られます。

巻子(かんす)って何ですか。

後藤:巻物です。

−自分で作るんですか。

後藤:ええ。みなさん、日本の巻物がどういう構造になっているかとか、どういう扱いをするのがよいのかなどを巻子(かんす)を作ることで学びます。私は今年、主に写真を撮る係でした。みんなが実習をしているところとか。

−ヨーロッパの人とか大勢来るんですか。

後藤:毎年応募が多いそうです。ICCROMという文化財保存修復研究国際センターと共催で、そこのホームページから日本でこういう研修会をやりますよと周知してもらいます。研修は3週間です。毎年80人ぐらい応募があってその中から10人に絞ります。年に1回なので何度も応募してくる人がいます。応募者が多いので博物館などで修復に関わっている中でも役職についている人を優先していると思います。

−最近、その人たちの世話をする仕事をしたんですよね。

後藤:ええ、最初の仕事でした。テキストを用意することから始まってすることはたくさんありました。

−例の巻子(かんす) を作る手順なども説明が必要ですよね。

後藤:ええ、でもそこまで大変という訳でもありません。講師の方から翻訳者に原稿が回ってテキストを仕上げますから。

−そうですか。

後藤:その3週間の間に京都に行ったり、美濃和紙の手漉きの体験などをします。残念ながら今年は台風で体験はできなかったんですが。

−どこの国の人が研修を受けるんですか。

後藤:各国1名ずつです。アメリカ、ヨーロッパ、アジア人もいましたね。去年はイギリス人がいたそうですが、今年はアイルランド人が来ました。

−本当に国際的ですね。ところで大学では特別授業がありましたか。

後藤:3年生の最初にプレイスメントと言って全員他のところで研修を受けなければなりませんでした。

−皆さんどういったところで受けるのですか

後藤:博物館が多いですね。そこにあるものを実際に修復するんですが、
業務内容は研修の受け入れ先によって違います。保存業務しかやらない人ももちろんいます。

−そうですか。

後藤:ええ。それでみんな2年生が終わった夏休みから3年生の1学期の間で最低6週間研修を受けます。

 −大学が設定してくれるんですか。

後藤:いいえ、自分で手紙を書いて頼むんです。断られることもあります。

−そういう場所はいくつくらいあるんですか。

後藤:たくさんありましたよ。ほとんどの博物館で受け入れてくますし、一つ上の先輩は大英博物館に行っていました。

−博物館はたくさんありますか。

後藤:たくさんありますよ。日本よりは少ないですが。

−えっ、日本はそんなに多いんですか。

後藤:日本は私立博物館も含めると結構な数になると思います。

−ちっとも知りませんでした。

後藤:イギリスは日本よりは数は少ないんですが統制が取れていて、多くの博物館内に保存や修復の部署があります。

−日本もそうですか。

後藤:日本はないですね。だから文化財研究所のようなところとか個人の工房と提携している場合がすごく多いです。まだ日本のことは詳しくないんですが。イギリスの場合は保存とか修復とか専門に分かれてきちんとやっています。

−日本のほうが遅れているのでしょうか。

後藤:体制が整っていないと言う点では遅れているようです。

−そうですね。もっとお金を使ってもいいのに。ところで後藤さんのように修復を学ぶ人は珍しいでしょう。

後藤:イギリスでもそういう大学は少ないです。リンカン大学かロンドンのカレッジぐらいですね。でもロンドンは物価も授業料も高いですから。

−外国人は生活できないですね。

後藤:ええ、だからロンドンにいる留学生はお金持ちなんだなあと思いました。もちろんロンドンにも日本人はたくさんいると思いますが。

−授業で印象深いことはどんなことですか。

後藤:そういえば、うちの学科はテストがないんです。2年のときに1回科学のテストがありましたが。

−科学ですか。

後藤:ええ、修復する前に必ず調査するので、顔料が何かとか材質を調べるのに薬品や光学器械を使います。薬品や機械についてのテストがありましたが、3年間で1回だけでした。そのほかはレポートでした。トリートメントレポートといって作品を修復してそれをレポートに纏めた結果で成績がつきました。レポートは最少の字数制限がありましたが修士論文ぐらい長いレポートを書く人もいました。私は毎回卒業論文ぐらいの長さでした。

−最少はどのぐらいの字数ですか。

後藤:学部は3000語、大学院は4000語だったと思います。

−修復する作品はどうやって確保するんですか。

先生がアンティークショップで買ったり個人や博物館から依頼を受けたりした作品を収蔵庫から選んでくれました。レベルにあった品物の中から私たちは好きな作品を選んで修復します。ですから自分の好きなもの例えば紙の作品ならず〜と紙の作品だけをやることもできます。私はいろいろ選びましたが。

−最初から修復させてくれるんですか。

後藤:簡単にクリーニングしてワックスを塗ることから始めます。勿論最初は何もわかりませんから、先生の指導を受けながらやるんです。「材質は検査した?」、「ここの繊維取った?」「接着剤何か調べた?」とか言われてやります。

−昔の物なのに接着剤を使っているんですか。

後藤:膠は古い時代から使われていましたよ。また雑に修理された後大学に来た物もあって、何だかわからない接着剤で固まっていたりするものもありましたから。先生が適正に指示してくれるのでそれに従って自分で調べて来て進めます。材質や強度によって接着剤を決めたりします。

−市販のものでなく特別な接着剤があるんですか。

後藤:それを研究開発している会社もあります。

−じゃあ、一つやるのに随分時間がかかったでしょう。

後藤:作品にもよりますが、平均3ヵ月ぐらいですね。

−大学院ではどのように勉強を進めたんですか。

後藤:大学院は1年でイースターまでは授業があって、その後修士論文に取り掛かりますが、研究する前に研究に対する発表をします。研究テーマについてポスターを作って、10分ぐらいのプレゼンをします。その後変更する人もいますし、とりあえずポスター発表をしようということですね。
−テーマはどんな物が多いんですか。

後藤:いろいろです。「遺跡のワックスコーティングについて」とか。

−随分専門的ですね。

後藤:そうですね。その人は壁画のワックスが変色したりするのでその除去方法とかをテーマにしていました。面白かったのは「修復に関する文献の調査」でした。学生や修復師などの専門家が何を参考にして修復しているとか。

−一番何を参考にしていましたか。

後藤:Icon というイギリスの修復学会が発行している学会誌のようなものが多かったですね。

−後藤さんのテーマは何でしたか。

後藤:私は「ニベ膠(にかわ)」についての研究でした。「ニベ」という魚がいるんですが、その浮き袋を煮詰めて作った膠が粘着力が強いんです。アイシングラスというチョウザメの浮き袋から作ったものが一般的ですが、これは主にロシアで、絵の具の剥離止めとしてよく使用されています。絵画にとどまらずいろいろなところの剥離止めとして使われているんですが自然の物なので腐るんです。

−固くなるイメージですけど。

後藤:固くもなります。それを防ぐために防腐剤を入れてみたらどうかとか。

−防腐剤って化学的なものでしょう。使っても大丈夫なんですか。

後藤:通常は使いませんが、使うこともある、と書いてある文献もあったので何を入れたらいいか調べて、よく化粧品に入っているパラベンという防腐剤を使ってみました。フィルムみたいな物を作ってそれを劣化させて強度や変色具合を測ってみたりしました。

−やっぱり変色が一番の問題ですか。ミレーの絵なんか暗くなっていているけど、もう元に戻せないんですか。

後藤:ライトによる変色は戻せません。

−最近ガラスのケースの中に入っていることが多いですね。

後藤:ライトだけじゃなくて温度や湿度を一定に保ったり空気の汚染から守ったりもしています。日本の博物館では多くの物がガラスのケースに入っているでしょう。

−そうですね。

後藤:そういうことをテーマにした人もいました。見る側と保存の側と博物館の見せたい側の合致する点はどこかとかですね。博物館の人はお客がほしいし見せたいんですが保存の人は絶対に見せないでほしいと言いたくなります。

−日本はよく海外の作品を借りて展覧会を開きますが、借りるのも大変なんでしょうね。

後藤:恐らく、同意書とか契約書を交わして借りてきます。出品するときに貸す方が調書を作って、輸送されてきたときにこっちが調書を作って、お互いに確認し合ってから契約書を交わして展示して返すときにも調書を交わして確認します。

−授業は大変でしたか。

後藤:1年のときの額縁のギルディング(金箔貼り)の先生が北のほうの出身でものすごく聞き取りにくかったのを覚えています。イギリス人でも少し聞き取りにくいそうです。技術の授業は大丈夫ですが、説明の授業もありましたから大変でした。基本的には作品を修復するのが授業ですから自分がしなければ進まないです。

−でも学生が自分からする授業はいいですね。その分、授業料が高くなりますけど。

後藤:ノーザンブリア大学では修復する絵画を自分で買わなければならないそうです。
−それは大変ですね。

後藤:アンティークの店で買ってくるそうです。

−それを修復するっていっても……。

後藤:カンバスからはずしたりクリーニングしたり、材質調査したりするんだと思います。リンカン大学には学部と大学院の間にディプロマというコースがあるんですが、私が3年生の時にそのコースをとっていて、その後ノーザンブリアの大学院へ進んだ人の話です。

−いろいろありますね。それで卒業式には出席しましたか。
後藤:私は学部の卒業式に出席しました。1人ずつ名前を呼ばれて、学長と握手してそれから卒業証書などを受け取りました。卒業式は大聖堂で行われましたから雰囲気もよくて本当に感激しました。

−素晴らしいですね。大聖堂にはどのぐらいの人が入れるのですか。

後藤:何百人も入れるそうです。

−大学院の卒業式もそこで行われますか。
後藤:ええ、9月の1週目は学部と大学院の卒業式がありますが、1月には大学院生だけの卒業式もあります。私は残念ながら出席できなかったんですが。

−それは残念でしたね。でも充実した留学生活でしたね。

後藤:本当にそう思います。

−本日はいろいろ珍しいお話を聞かせてくださってありがとうございました。
(了)
(2015年12月25日掲載)