「何これ? こわーい」
私の日本人の友達が言いました。
彼女は私の結納に来て、洗面器いっぱいの羊の肉を見て驚いて言ったのです。
洗面器には羊一頭の肉が入れられ、その一番上には羊の頭がのっていました。日本では動物1頭分の肉を見ることはないらしく、彼女は初めて見た羊の肉、特に頭を見てとても怖かったようです。
私は、「日本でだって同じものをテレビで見たことあるよ。」と言ったら、
彼女は「こんなのないよ!」と言います。
私は自分の体験から一つ、例を挙げました。
「日本ではお刺身をお皿に盛る時に、頭と骨としっぽを一緒にのせるでしょ? 私は日本の番組で見た時、本当にびっくりしたんだよ。」
日本では、おさかなの、頭としっぽのついた中骨(なかぼね)を舟に見たてて、その上にお刺身や調理したお魚をのせることを、舟盛りと言うそうです。
これは、彼女が説明してくれた話です。
そして、お魚とお肉の違いはあるけれども、同じことをやっているんだと納得してくれました。
日本ではお魚をよく食べるのでお魚をまるごと、キルギスは羊をよく食べるので羊をまるごとおぼんにのせるのです。これが豪華だったりおもてなしの象徴なのは同じ事のようです。
ニヤザリエワ・エリビーラさん
このように、一見、まったく違う文化や習慣に見えてもその背景には同じ、考え方があります。このような例は意外に多いようです。
基本的な考え方は近いものがあると思います。
それぞれ住んでいる環境が違うので、文化、習慣、考え方が違ってくるのです。
例えば日本ではご飯に誘われたとき、だされた料理をすべて残さず食べると相手はとても喜びます。なぜならお客さんがとても満足したと分かるからです。
キルギスでは全く逆です!だされた料理を全部食べずに少し残します。これには食べきれないほど満足したよ、という意味があります。
例えば、おいしい食事に満足したということを示すのに、日本とキルギスでは全く違います。きっと日本で食事を少し残したら、日本人はお客さんは満足してくれなかったのかと誤解しそうですが、表現のしかたが違うだけなのです。
文化は、それぞれの民族の長い歴史や伝統からなりたって、すばらしいものを持っています。異文化からそれを見て、すばらしいものだと評価することもできるし、これはだめだ、受け入れられないと否定することもできます。
しかし簡単に否定しないで、どうしてこういう考え方をしているのだろうか?どうしてこういう習慣になったのだろうか?と考えたり調べたりすることで、まったく違って見える文化も深く理解することができるのです。
異文化を勉強して、興味をもって、その文化を大好きになったりすることによって、相互理解を深めることができるのです。自分の文化を世界に発信しみんなに理解してもらうこと、他の国の文化を知り尊重していくことが、なにより大切な事だと私は思うのです。
みなさん、知らない文化や習慣にはじめて出会ったとき、「何これ? こわーい」ではなく、「何これ? 面白い!」と考えて見ませんか?
そして自分の文化をもっともっと外に紹介していきましょう。
ごせいちょうありがとうございます。
(了)
(2015年9月22日掲載)