−英語はどこで勉強したんですか。
N:昔から洋画が好きだったんです。それに中学の頃から音楽を聞きながらカタカナで書いたりしていました。
−じゃ、英語ができたでしょう。
N:好きは好きでした。最初はめちゃくちゃでしたが、段々調べようという気になりました。
−じゃ、発音もいいでしょう。
N:う〜ん、方言も関係があると思います。大阪のようにイントネーションがある方言の人たちは英語のイントネーションもうまくできると思うんです。でも私のように棒読みの方言のところはイントネーションをつけるのが難しいんです。日本語の発音も「雨」と「飴」はイントネーションが違いますが、うちの地方は全く同じイントネーションなんです。それで単語の発音は良くても文になると難しかったと思うんです。本読みは昔から苦手でした。
−音楽は何を聞いていたんですか。
N:お母さんがマイケルジャクソンを聞いていたので私も。お母さんはスティービーワンダーとかの黒人ミュージシャンが好きだったんです。
−お母さんも英語が得意だったんでしょう。
N:得意じゃなかったけど、昔から興味はあったみたいです。
−それだいつも歌詞をカタカナで書いていて…
N:そういうのをやっていました。小学校の時から根拠はなかったんですけど留学するだろうなと思っていました。
−周りに外国人がいたんですか。
N:いいえ、一人もいなかったです。
−不思議ですね。
N:アメリカは絶対に行くだろうなと思っていますし、色々なところに住む気がします。
−いつ留学したんですか。
N:高校が終わってから大阪の英語専門学校に1年行って、そこの卒業式がアメリカのボストンであったんですが、アメリカの姉妹校の寮で1ヶ月過ごしたんです。卒業した後、帰国したい人は帰って、それぞれ色々なところに散らばっていきました。私はアイダホ大学の語学学校に入って6ヶ月後にトッフルを受けてワシントンのタコマ市と言うところの短大に行きました。
−アイダホでの生活はどうでしたか。
N:寮に住んでいましたが、日本人はほとんどいませんでした。そこでは台湾の人たちとずっといました。
−お金持ちの人たちでしたか。
N:働いている人達でした。仕事を休んで来ていました。だから結構お姉さんでした。すごく優しくて英語分からないのにず〜っとしゃべっていても飽きないんですよ。
−へえ。
N:うわさ話から日本の好きなドラマとか単語と単語で話すんですが、楽しいんです。
−言葉ができなくても通じ合うってことはありますね。
N:本当にずっと面倒をみてくれて…朝ご飯とか作ってくれたり、いつもご飯食べに行こうと誘ってくれたり、だから全然寂しくなかったですね。最後は一緒に1ヶ月ぐらい旅行しました。
−大勢で?
N:韓国人が1人と台湾の人が5人、私となぜか私の妹もいて、ワゴン車を借りてアメリカを回りました。妹は英語は全然話せなかったんですが、すごく楽しそうに彼らとおしゃべりしていました。
−そうですか。
N:だから言葉なんかコミュニケーションしたければなんとでもなると思います。仕事の場合は別ですが。
−そうですね。ところでどんなところに泊まったんですか。
N:モーテルですね。イエローストーンとかラスベガスとか行きましたが、ほんの一部でしたね。
−その時のアメリカの印象は?
N:日本の田舎とレベルが違いましたね。何もなさ過ぎて、恐怖感がありました。
−途中でパンクしたらどうしようって思っちゃいますね。
N:そうですね。無事でしたけど。夜あんなところに一人でいたらやばいですよ。日本と違って街灯なんかないですから、真っ暗ですし。
−楽しかったでしょうね。
N:ええ、とっても。兄弟みたいです。今でも「シスター」って呼んでいます。彼らはもう台湾に帰って子供もいるし。台湾に会いに行きたいですね。
−本当にいい関係ですね。ところでタコマの短大には日本人がいましたか。
N:ワシントンだったので日本人もアジア人も結構いました。そのころまだ少なかったんですがラテン系の人もいました。今はもっといると思います。
−日本人とほかの国の人と違いがありましたか。
N:韓国人、中国人はそれぞれファッションが違うんです。
−じゃ、日本人も分かったんでしょうね。
N:そうですね。ファッションで区別していましたよ。今はみんなおしゃれになっているので差はないと思いますが、昔は明らかな差がありました。化粧も韓国人は全然していなかったし、髪が長くてシュシュという髪留めをしている人がほとんどだったので、それを見たら韓国人だと分かりました。髪が綺麗でした。キャラクター物を一杯持っていたら中国人かなとか、日本人って年が行ってきたらキャラクターをじゃらじゃら付けている人はいないですから。当時の中国人はキャラクターの物をよく持っていました。
−日本人に比べて結構お金持ちの子供が多かったでしょう。
N:そうですね。中国人はお金持ちの子供で頭がすごく良かったです。だからみんな家庭教師のバイトをしていました。アメリカ人の子供に数学などを教えていました。みんなすごいなあと思っていました。韓国人は兵役が終わってきている人が多いのでお兄さん的なんですが、中国人はとても若い人ばかりでした。
−その時の人たちとも付き合っていますか。
N:ええ、今もフェイスブックで繋がっています。
−じゃ、韓国にも行けますね。
N:ええ、でも韓国人はそのまま帰らないでアメリカで暮らしている人が多いんです。前に話した台湾の人はほとんど帰国しましたが。その地域には韓国人がたくさん住んでいたので日本食ぽいレストランがたくさんあって助かりました。ジャパニーズと書いてあるんだけど韓国料理のプルコギと鯖の塩焼きが一緒になっていたり、スーパーも韓国の人がやっているんだけど日本食ぽいのがあって、アメリカの肉は塊で売っていますがそういうスーパーにはスライスした肉も売っています。日本人がやっているスーパーは高いので、韓国人や中国人がやっているスーパーに行っていました。
−日本人も安くできると思いますが、安くする必要がないってことでしょうね。
N:そこで買って友達と一緒に作って食べました。
−友達は日本人?
N:そうです。一緒によく遊びに行きました。
−どんなところに行きましたか。
N:若かったからクラブとか行きましたね。
−マリファナとか吸っている人とか見たことがありましたか。
N:全くありませんでした。クラブなどでそうなのかなというような人を見ましたが、絡まれたりしなかったので全く分かりませんでした。テレビのドキュメントで見たりしましたが実際には周りにいなかったのでわかりませんでした。テレビも日本と違ってモザイクをかけていないんですよ。日本だったら直ぐに逮捕されちゃうでしょう。アメリカって寛大っていうかセレブなどが吸っていても直ぐにカムバックして来るんです。最近は合法になった州もありますけどね。
−そうですか。(続く)
(2015年4月30日掲載)