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迷信


 オーリガ・グリシェンコ (ウクライナ)

ランディカ・ジャヤミニ
オーリガ・グリシェンコさん

 日本に来て以来、自分自身よりも、周りの人について考えてしまうことが多くなってきた。自分が嬉しいのではなく、隣の誰かが嬉しそうと、自分が悲しいのではなく、近くにいる誰かが苦しそうと。どうすれば、周りの人のためにもなるか。自分の学生についてもたくさん分かってきた気もする。どのような人たちなのか、大切にしているのは何か、興味を持っているのは何か。

 今日本語教師の仕事をしている。職場で色々な人と出会うきっかけが多い。日本語教師として毎日会っている学習者もいる。「教える」と言っても、「教えられる」ことが多いかもしれない。何を、どんな状況で、どのようにすればいい結果になるのか。学生が覚えて身に付けてくれるように、新しい文型を紹介したほうが良いのかなど、色々考えなければならないのだ。

 もう自分自身だけについて考えているのではなく、回りの人との人間関係を意識して行動をすることが多くなってきたことに気が付いたのだ。それをきっかけに、日本人の考え方も知りたくなった。

 二人の日本人の友達にインタビューをした。一人は警察で働いているSさんで、もう一人は病院の受付で健康保険にかかわる仕事をしているFさんだ。仕事で会う人の性格や考えも違うし、仕事の内容も大分違うので、態度や考え方もずいぶん違うように見える。

 Fさんは職場で会う人が主に何らかの病気にかかっている人、怪我をしている人、お見舞いに来る人、またはお医者さんたちや看護婦さんたちなどの病院のスタッフ。患者の中ではお金持ちが多く、良く文句を言われたり、意地悪をされたり、ごうまんな態度で話されたりする場合が多いそうだ。それはお金持ちが求めている「サービスの水準」とかが高いからだと考えられると言っている。何らかの問題があって悩む、苦しむ人のほうが多い気がした。

 この状況でFさんは出来るだけ笑顔で患者に向かうようにしているそうだ。職場で優しい笑顔が大切だと言う。でも、「正しい」「適切な」笑顔でいるのも大分難しいらしい。笑顔にも種類がたくさんあって、それを使い分ける必要があるそうだ。Fさんの職場に適切な笑顔は微笑み、歯を見せないという親切な笑い方だそうだ。

 そのところで私が自分の国でニュースになった話を思い出した。ある大きい銀行のスタッフ用のマニュアルで、職員がいつも笑顔でいるべきだと書いてあった。銀行員はもちろんそのルールを守っていた。でも、ある日次のことが起こった。ある人が給料を引き出すために銀行窓口まで来た。お客さんは給料があまり多くなかったので、銀行員がその人の安い給料を笑っていると思ってしまった。銀行の管理に文句を言った。スキャンダルになったので、銀行の管理が新しいルールを作った。いつも笑わなくてもいい。銀行員がお客さんの様子を見て、適切な微笑みで向かうべきだと。そうやって微笑みについて話してみたら、やはり、笑顔は大事だと検討がつくだろう。

 Fさんが仕事で会う患者の中では年配の人が多い。だから、普通の人より気を使わなければならない。良く聞こえない場合、もっと大きい声で話す。様子を見ておかないと、全然違うところへ行ってしまいがちだから、必要な場所まで親切に送る。Fさんは自分についてあまり性格が良くない人だと思っているが、職場で出来るだけ優しくて、暖かい気持ちでいるように頑張る。最善のことが出来ますように、と患者さんたちのことを祈る。人間である以上、怒りたくなることもあるが、それを言えないので、たんたんと仕事をする。いやなことが多いが、ありがとうと言われたら、心が育つ。その一言だけのために働くのではないかと、Fさんは思っている。医者じゃないが、受付で彼女の笑顔だけで良くなったと言ってもらえれば、嬉しいそうだ。きっと、人とかかわる仕事をすることは人のために仕事をすることになるので、感謝の気持ちは価値の高い宝物になる。

 Sさんの仕事はFさんのと全く違う内容だ。Sさんは警察官で、人々が安心して暮らせるように町をパトロールしたり、悪い人を捕まえたりしていると言う。仕事で色々な人に会うチャンスがある。「事件の被害者や加害者に会うときは、事件の真相を知るため、うそとほんとを見分けられるようにしないといけません。だからいつも「ほんとかな?」って思いながら聞いています。」と、Sさんが言っている。被害者の中には、事件の記憶が辛くて忘れたい人もいるので、Sさんは出来るだけ早く事件を解決して安心してほしいと思っているそうだ。加害者の中にも色々な人がいる。彼らが何故犯罪を犯したのかを聞いて、彼らが二度と犯罪者にならないように一緒に解決策を考えるのも警察官の大事な仕事だと、Sさんは思っている。私から見ると、Sさんは町の人を見守る役に立っている人だ。

 Sさんも、Fさんも、東日本大震災が起こったとき、被災地で仕事をした。地震や津波についてSさんがこう言う。「2011年の東日本大震災では被災地の治安維持のため、応援部隊の一員として岩手県に派遣されました。被災地の惨状は言葉では言い表せないくらいひどいものでしたが、被災者はみな明るく逆に勇気をもらいました。また、震災当時何人もの警察官が住民の避難誘導などの職務を遂行し殉職していったことを被災者が本当に感謝しており、津波で廃墟となった交番に今も花や線香が手向けられていて感激するとともに警察官としての誇りと使命感を改めて強く感じました。」

 Fさんはその出来事が今も一番記憶に残っていると言う。宮城県出身のFさんはそのとき、当地の病院に勤めていた。家が山奥にあったので、津波の被害を受けなかった。病院の状態も良かったが、周りの病院は津波や地震に破壊されたところが多かったらしい。だから、数多い被害者がFさんが勤めていた病院に運ばれていった。その恐ろしくて忙しい日々をFさんは今、夢ではなかったのか、と思っている。普通にあるべきことではない、非現実的、映画っぽいとも。私はFさんの代わりにあの病院で働くことになったら、いったいどう思って、どうしたのだろう。全然見当が付かない。

 このような素晴らしい人達と話したとき、次のように考えた。やはり、自分が人に恵まれていると。そのような人に出会えて良かったと、自分も負けないくらいの人になれるように頑張らないと、この世が美しくてたまらないとさえ、うそっぽく見える派手な言葉を頭の中に並べている。周りの人の気持ちや考え方は、「これはこうだ、それはそうだ」と解釈できないと思うが、人間一人一人との出会いは自分の人生を変えるきっかけを与えるのではないかと思う。
(2015年2月23日掲載)