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エクセルの一覧表はくれないのか? 久しぶりに母国ドイツでの仕事


 ウルリケ・クラウトハイム (ドイツ)

ランディカ・ジャヤミニ
ウルリケ・クラウトハイムさん
 10年以上日本で暮らして、日本の文化業界で仕事してきたドイツ人の私。今年の春に、ベルリンの劇場「HAU」で、10日間にわたって行われた日本特集「ジャパン・シンドローム−フクシマ以降のアートと政治」にスタッフとして関わった。舞台作品、映像、レクチャーやトークイベントを通じて、日本人アーティストが震災以降取り組んでいた仕事を紹介するこのフェスティバルで久しぶりに2ヶ月ほど母国で仕事する体験ができた。顔が明らかにドイツ人なのにもかかわらず、心が日本人化した私にその体験がどう響いたか、振り返ってみたい。

 ベルリンに到着した翌日、早速、日刊紙「Tageszeitung」の別紙として配布される予定の日本特集新聞の準備が始まる。そう、ドイツで演劇は社会的価値が高いものとされ、劇場や演目の情報はそれぞれの都市の日刊紙の一部として提供されることがよくある。ようするに劇場が行う問題提起や議論がマスメディアの報道と連携し、現社会が直面している問題を考えるツールとして定着している。

 特集新聞の内容が打ち合わせで大まかに決まったところで、関係しているスタッフそれぞれが準備を開始する。しかし、自分はどのスケジュールで何をどこからどこまでやればよいのか? 明確な情報はあまりない。そろそろ、日本みたいに、細かく、丁寧に、様々な色で業務の割り振りや締め切りなどが明記されているエクセルの一覧表が送られてくるかと思ったが、そのようなものはなかなか来ない。事務所が殆ど個室か部署ごとのオフィスになっているので、他の人が今どんな仕事をしているか、それを把握できる状況もない。エクセル表をもらっていない、個室内の机でひとりぼっちで座っている私はいったいどうすればよいのか? 上司に「役割分担はどうなっているの?」と聞いてみると役割分担がそれほど決まっていないから、貴方ができるだけのことをやるしかないと言われた。できるだけのことってどの程度のことなんだろう? と他の人から離れた個室の机に座って、考える。そうか、しかたない、まず勝手にやっていくほかないのだ。こんなに自由にさせてもらったことに戸惑いながら、全体図が見えなかったが、まず一個一個の仕事をつぶしていくしかないとなんとなくわかった。

 2ヶ月目に日本人のアシスタントが新しく加わる。ようやく孤独な状態が終わり、日本語で色々共有ができる相手がいることにほっとし、嬉しくなる。しばらく一緒に仕事したら、彼は「劇場のスタッフはみんな優秀だ」といい始め、しつこいほど言い続ける。そうか、日本人からみればそうなのか? なぜそう見えるのか、考えてみたら、ドイツの職場ではスタッフを教育する、見習いさせる仕組みがないことが理由の一つにあげられた。採用の時に、採用されるスタッフが既に専門的な知識や経験をつんできたことが前提であるので、常勤スタッフ全員が責任を持って自分の仕事を進めていくのが常識。* だから、劇場の場合、芸術監督以外は、日本に比べれば、スタッフ同士で上下関係がフラットで、業務や責任の範囲がはっきりしている。みんなは自分がやるべきことをよく分かっているので、業務内容を細かく指示してもらう必要もない。全員がグループではなくて、個人個人として動いていくので、職場全体の「規律」や「ルール」を立て、職員をそれに従わせる日本の形式とはまるで違う。

 その状態では、細かい、カラフルなエクセル表はいらないのか? そうだ、エクセル表は共有のツールでもありながら、規律を成立させて、スタッフを受身にするツールでもあるかもしれない。極端に言えば、配られたエクセル表に従うことは自分で考えなくてよい、指示された業務だけをこなすことでもあるかもしれない。エクセル表には上から目線で作られた全体図の機能もある気がしてきた。

田口行弘「Confronting Comfort #2」公演から

【写真は、劇場前で広がる田口行弘さんによるインスタレーション「Confronting Comfort #2」。 回収素材
から作られた屋台はアーティスト、観客とスタッフが食べたり、議論したりする、賑やかな場となった。
photo: Jürgen Fehrmann 禁無断転載】

 でも、役割分担やスケジュールが明確に共有されていないで、みんなの頭にしかないと、仕事は纏まるのか、日本人から聞かれそうだ。私の短い体験から言えば、仕事の纏まりは日本ほどスムーズではない、ミスは若干多いかもしれない。ただ、その分、ミスに対応することに、ドイツ人が日本人より少し得意な印象を受けた。関係者それぞれの頭の中にあるプロジェクトの全体図が少しずつずれていると、喧嘩に至ることもある。でも一時的に喧嘩になっても、職場の人間関係が全体的に崩れることはない。喧嘩は個々の意識を調整する手段で、当然あってもいいという仕事環境なのだ。

 私は、時間がたつと、最初に孤独だととらえた仕事のやり方を自由だと感じ始めた。だって、事務所は個室だから、夜、帰る時に「お先に失礼します。」という相手もいないし、日本人の同僚とはその言葉を交わして懐かしかったが、私が何時に帰ったか、把握する人もいない。日本みたいに周りの人間から怪しい目で見られ、気持ちが重くなることは全くない。スケジュールや役割分担を示すエクセル表がなくても、日本特集がなりたった。しかも、日本のような「現場のぴりぴり感」がなく、参加アーティストや観客と楽しく付き合うことができた。それはスタッフの皆さんがお互いを監視しない、同僚がエクセル表通りに動くかどうか、見ないからだ。

 今、またエクセル表の世界に戻ってきた。日本のきれいに細かく書かれているエクセル表が嫌いになったとは言えないが、誰にも監視されない、ベルリンでの個室オフィスを少し懐かしく思うようになった。それと、ドイツで、演劇が思想ツールとして大切にされていることもかなり懐かしい。ただし、後者はまた別の話なので、それはまた今度にしよう。

* 仕事の経験は大学生時または卒業直後のインターンやアシスタントのポストでつむことになるが、ずっとその同じ職場に働く前提がないんで、新入社員のような会社独自の教育は基本的にされない。

[編注] 日本特集「ジャパン・シンドローム−フクシマ以降のアートと政治」の概要は次のwebサイトを参照。
"Japan Syndrome Art and Politics after Fukushima" , HAU Hebbel am Ufer, Berlin(2014年5月20日-5月29日)
http://english.hebbel-am-ufer.de/programme/archive/japan-syndrome/ (英語)
http://www.hebbel-am-ufer.de/programm/archiv/japan-syndrome/ (ドイツ語)

(2014年10月18日掲載)