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手とお箸、お風呂と水シャワー


 ヌル アリファ ビンティ マッド ユヌス (マレーシア)

ランディカ・ジャヤミニ
ヌル アリファ ビンティ マッド ユヌスさん

 私は2009年から2011年まで留学のため日本に滞在したことがある。滞在中にいろいろな思い出ができた。その中で一番印象に残っているのは、3年前の今頃の話だ。他のマレーシアの留学生たちと紅葉を見に行くという計画を立てた。お弁当として皆で一緒にマレーの料理を作って、レンタルした車で弥彦という紅葉スポットに向かって出発した。紅葉を見て、昼ご飯の時間を迎えた。少し隠れていた休憩場を選んで、そこでおしゃべりしながら楽しみにしていた弁当を食べることにした。

 食べている最中に、突然お年寄りの女性の方が現れた。「手で食べるの? きたないな。」と声を掛けられて、皆びっくりした。確かに、そのとき私たちは手で食べていたのだ。マレーの料理のこともあって、皆マレーシア人だから、手で食べることは問題がないと皆そのように思っていたからだ。「ほら、あそこの売店で箸をもらってきなさい。きたないよ、手でご飯を食べるなんて。」とまた言われた。お箸やスプーンを持ってきたが、私たちはマレーシア人で、手でご飯を食べることはマレーシア人の習慣という事情を説明した。その方が納得するまでに時間がかかった。

 他の国の人に聞いてみると、やはり手で食べることはマレーシアだけの文化ではない。タイ、インドネシア、スリランカ、インドなどでも手でご飯を食べることは珍しいことではないらしい。日本人でもおにぎりを手で持って食べるのだろう。ハンバーガーやフライドチキン、ピザなどもお箸を使わないで手で食べたほうがずっと食べやすいのではないだろうか。手で食べることは手の指先が少し汚れてしまうが、食事前と食事後に手を洗えば、清潔さが守れるだろう。

 では、なぜマレーシア人は手、日本人はお箸でご飯を食べるのかを考えてみた。原因は米の種類だと思われる。マレーシアではタイ米がよく使われている。逆に、日本では日本米を炊いて、ご飯ができる。出来上がったご飯を比べてみると、タイ米はぱさぱさだが、日本米は少しねばねばであることがわかった。ぱさぱさのご飯は、お箸より手を使って食べやすくなる。少しねばねばのご飯は、手で食べていたら指先にくっつくので、お箸を使えばきれいに食べられることがわかった。

 次からは、私の日本人の友だちの話に変わる。彼女は、5年ぐらい前、マレー語の勉強のため短期コースを受けて、初めてマレーシアに来た。そのとき、一番ショックなことは何かと彼女に聞いてみたら、彼女は「寮のシャワーが水シャワーだったのが一番ショック。」と答えた。「お湯も出ないし、しかもシャワーキャップじゃなくて、水はホースから出るのが。」と彼女は答えを付け加えた。お風呂やホットシャワーに慣れてきた彼女は、マレーシアに来て、言葉が通じないことよりシャワーを浴びることの方をずっと悩んでいたらしい。

 3年後、彼女が日本語の教師としてまたマレーシアに来る機会があった。そのとき、宿題に「友だちは頭が痛いです。あなたは友だちにどうアドバイスしますか。」という自由解答の問題を出した。模範解答には「薬を飲んだほうがいいです。」や「お風呂に入らないほうがいいです。」という日本人にとって当然な答えが書いてあった。しかし、宿題をチェックしたとき、「薬を飲んだほうがいいです。」の他に、大体の学生が「シャワーを浴びたほうがいいです。」や「頭を洗ったほうがいいです。」と答えた。彼女は学生の答えは不自然ではないかと議論した。

 彼女は、水シャワーや病気のときシャワーを浴びることは、日本人にとってどうしても思いつかないことだと発言した。日本の1年間では寒い時期のほうが長いので、ホットシャワーやお風呂は日本人の家庭に不可欠なものだ。また、お風呂に入るという文化は日本の独特の文化だ。さらに、日本では、病気になって、そのままお風呂に入ったら、体に異変が起きて、死に至るケースも少なくはない。だから、日本人は病気のときに、お風呂に入らないようにしている。彼女はこのような理由を言って、意見を述べた。

 逆に、マレーシアは熱帯地方にあるため、一年中暑い日々が続いている。だから、水シャワーを浴びることは非常に心地がいい。また、朝、冷たい水でシャワーを浴びて、身体にこれから一日が始まるサインを与えられて、朝から元気で一日を過ごせるという意見もある。頭が痛いとき、シャワーを浴びると答えた理由は次のように考えられる。マレーシア人の間では、暑さが原因で頭痛になる人が多いのだ。頭を洗うことやシャワーを浴びることによって、頭や体が少し冷えて、頭痛が楽になる。

 しかし、お箸でご飯を食べて、お風呂に入ることに慣れてきた日本人の彼女と手で食べて、小さいころから水シャワーを浴びてきたマレーシア人の私との間に共通点もあった。ある日、二人で子供を出産したばかりの同僚を訪問しに行った。私は、頭の中でお土産を何にしようかを考えながら、モールに寄った。モールに入って、彼女が「私はお土産を買ってくるので、ちょっと待ってて」と言い出した。それを聞いて、「あ、私も買おうと思っていた。一緒にどう?」と私が返事をした。二人でお土産として同僚の大好きなドーナツを買って行った。

 その通りだ。マレーシアにも日本にもお土産をあげる文化がある。お見舞いのときには、早く元気になるようにという気持ちを伝えながら、果物やお花をあげたりする。他の人のうちにお邪魔するときや訪問するときにも手ぶらではなくて、お土産を持って訪問する人が日本にも、マレーシアにも多いのではないか。お邪魔して申し訳ないという気持ちを表すのだろう。また、出張や旅行の帰りに、自分がいないうちに色々な迷惑を掛けたかもしれないので、お礼の代わりに同僚や家族にお土産をあげる。

 他の国に行ってそこで暮らして、悩みながら異文化について考え始める人が大勢いると思う。私もここで話した日本人の友だちもその中の一人である。自分の国なら地方によって異なっている文化があっても、無視してしまうことが多い。また、旅行などで海外に行って異文化をあまり意識しなくても、海外での日々を楽しく過ごせる。しかし、実際に外国に住むことになったとき、その国の習慣やライフスタイルを自分の国の文化と合わさなければならない。

 それにしても、自分の国の文化を決して忘れてはいけない。たとえ国籍を変えて、一生海外に住んでいても、自分は元々その国の人ではない。自分の国の文化を守るのは自分である。先祖が守ってきた文化はこれから残される子孫に伝えるのは自分ではなければ、やってくれる人はいるのだろうか。自分が自分の国の文化を守らなければ、いつの間にか世界から消えてしまう。「昔、マレーシア人は手で食べていた。」、「50年前、日本人はお風呂に入る文化があった。」と将来、歴史の教科書にこのように書かれたらどう思うか。
(2014年3月19日掲載)