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ニュージーランドの小学校 3


 清水紀子 (日本)

 ある時こんなことを目撃しました。
 学校の帰り道で、目の前にいた白人系の子どもを、1人の黒人系の男の子が待ち伏せていたようで、突然近寄ってきてなぐろうとしました。私はとっさに「NO」と言いながら2人の間に立ちふさがりました。何故なぐろうとするのかと問うと、「かれは、ぼくの髪の毛を笑ったというのです」。わたしは、「それはよくないことだと思う。でもなぐることも良くない」というと少しずつ落ち着いてきて、「でも許せない」というのです。「先生にそのことを伝えるから、明日話しあうようにしよう」というと彼は納得しました。次の日に担任の先生と話し合って解決したようでした。いろいろな人種のいる国際的な学校だと思っていたのですが、やはり差別はあるようです。

 Special needs(特別支援が必要な子ども)がいじめられているところを見たこともありました。

 ニュージーランド(NZ)にも確かにいじめはありました。でも日本のいじめとはちょっと質が違うと思いました。日本の場合は、自分の意思ではなく、集団から疎外されないように自分の身を守るためにいじめることがよくあります。それは、長期にわたって陰湿にじわじわと続きます。

 日本の学校では集団を大切にするので、集団から少しでもはみ出す子どもがいると、正義のもとにいじめが始まります。例えば転校生で目立つ様子や行動があると、よくないことだ、やめさせなければならないという理由をつけて集団でいじめてしまうのです。いじめていることに気づきやめようと思う子がいても、集団から抜けられません。集団から抜けるのは悪いという理由でいじめられてしまうからです。

 NZの子どもはそれぞれ違って当たり前と考えるので、自分に危害が加われない限り、許容します。ですから、集団化することは少ないようです。いじわるな子がいたり、乱暴な子がいたりしますので、けんかはよくありました。けんかは子どもの世界では当たり前のことですから、それは問題ではありません。

 日本のいじめの問題は何から何まで横並びに揃えようとする教育から生まれてくることにあらためて気づきました。学用品も同じ物を揃え、背の順にきれいに並び、学校ではどう行動するか細かいところまでマニュアル化されている毎日の中で少しでも違うことは許されないことになるのだと思います。学校の体制が変わらない限り、いじめは続くでしょう。もう1度何故横並びにしなければならないのか、考える必要があると思います。

 NZの学校に日本人の生徒たちが4人いました。お父さんが牧師をしている兄弟2人は、NZ生まれのNZ育ちですから自由に英語も日本語も話します。土曜日に日本語の補習校に通っているので、かなり日本語の力もあります。賢い子どもで、勉強はトップクラスでした。

 5年の女の子は、1年前にNZに家族で来ました。英語がほとんどわからず外国人のための特別な英語授業を受けていました。担当の先生から彼女の英語をみてほしいということになり、7ヶ月位ほぼ毎日1時間英語を教えました。彼女は英語が話せるようになりたい、授業も理解したいという意欲がありどんどん上達しました。私が帰る頃には英語で友達とけんかする位になっていました。

 同じ5年の男の子は、私が行った2ヶ月前に来て、ホームスティをしていました。やはり英語が話せないので彼の英語指導も頼まれました。彼はローマ字も全くわからず、アルファベットを覚えさせるのが大変でした。能力はありそうなのに、何度同じことを教えても覚えないので、私は、その理由を尋ねました。「ぼくは、12月で帰国するから英語を覚えなくてもいい」というのです。

 ある日、物語作りの国語の学習をしているその子に教室の前で会いました。友達と一緒に学習している様子をしばらく見ていました。友人は一生懸命に二枚の絵を描いて、どちらが良いか聞いています。彼が絵をみながらこっちと指差すと、友達はその考えを反映させながら物語を作っていました。こんなに友達がやさしければ、彼は英語を覚えなくても気持ちよく毎日をすごすことができるわけです。

 彼は、高校の時またNZに来て勉強したいと言うので理由を尋ねると、その時は英語を勉強して、外国人枠受験すれば簡単に日本の大学に入れるというのです。大学受験の悪影響がここまで及んでいるのかと思いました。

 彼は勉強に進歩がありませんでしたが、クロスカントリー(マラソン大会)で3位になり学校代表で町の大会に出ることができました。

 英語ができなくても日本の小学校よりNZの小学校は居心地がよいと言っていました。ずっと自由だし、友達がやさしいからだそうです。日本にいる外国籍の子どもは、話せるまでは厳しい毎日を送らなければならないものです。この違いは何なのでしょう。

 ホームスティのお母さんに親として子どもに何を一番願うか聞いてみたことがあります。そうしたら「それは、子どもが今ハッピーかどうかということよ」と即座に答えました。日本の親は将来の子どもの幸せを一番大切に考えていると思うと言ったところ、「将来の幸せは、子どもが自分で見つける問題だ」と彼女は言い切りました。「ハッピーというのは、ただ自由に好きなことをしてもいいということではなく、充実した時間を過ごしていることだ」とつけ加えました。娘さんは1人子なので、週末にはよく友達が泊まりに来ていました。彼女は、スポーツが得意なのでソフトボールや、ネットボールを食事の前や後に練習をしに行き、週末はよく大会に出ていました。

 学校でもPTAとして、子どもが楽しくすごせるようにいろいろ考えます。ディスコパーティもその1つです。子ども達はお化粧をして着飾り、夜6時に体育館に集まります。体育館は、きれいに飾られ、大きなスピーカーが設置されていました。大きな音でがんがんディスコダンス音楽を流し、子ども達は我を忘れて汗を流しながら踊っていました。もちろん校長先生も楽しそうに踊っていました。学校でディスコというのは、日本では考えられないことです。でも子どもの側に立った楽しみ方を考えていると思いました。

 もう1つの行事にトワイライトパーティというのがあります。先生が中心になりPTAが協力をして多くの店を出し、売上金を教育費にあてるというのが目的のものです。そこでは、児童が中心になりカラオケをやっていました。子どもの楽しみはいろいろですが、日本に比べると許容範囲がかなり広いです。

 私が算数を教えていた子どもから誕生日に招待されたことがありました。3時頃彼女の家に行くと子ども達は10人位集まっていました。もちろん大人は私だけです。お菓子を食べたり、庭でトランポリンをしたり、お母さんの古着を着て舞台でファッションショー(舞台は、庭にお母さんが作りました。)をしたり、ディスコダンスをしたり、―本当に楽しそうでした。夕飯にピザを食べ、最後はキャンプファイヤです。夜9時に親達が迎えに来ました。

 日本の子ども達はもっと楽しんでいいのではないでしょうか。子ども達は今を生きているのですから、今が充実しているかどうかはとても大切なのではないかと思いました。親が子どもの今を大切に考えてあげるということは、子どもにとっては、愛されている実感を得られます。それは、将来の幸せの大きな原動力になるのではないかと思います。
(了)
(2014年1月20日掲載)