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ニュージーランドの小学校 2


清水紀子 (日本)

 私が日本語教師として担当するのは、イヤー3(日本で言えば2年生)からイヤー6までの各クラスの子供たちに週1時間(30分x2)日本の文化を教えることとイヤー8の子供達に週2時間日本語の基礎を教えることでした。

 イヤー5までの子供達には異文化の面白さを伝えてほしいということでしたので、日本の文化を伝えながら簡単な日本語を教えることにしました。文化としては、おりがみ、習字、歌、福笑い、コマ作り、こいのぼり、かぶと作り、ちぎり絵――着物を着せる授業もしました。今多くの学校で取り入れているネイチャーゲームも試してみました。日本語としてはあいさつから数字、色、簡単な言葉などです。

 毎時間子どものレベルに合わせて授業を計画するのはかなり大変でした。1時間の授業を計画するためには、教材を準備し、その上英語で何と言って伝えるか考えます。ノートに書いてはそれを覚えました。おかげで英文を書くのは速くなりましたし、英語で話すことも進歩したと思います。

 子供達は私の下手な英語も黙ってしっかり聞いてくれます。それはNZでは聞くことがとても大切な学習であると言うことを徹底して教えているからです。

 教えていて気がついたことは、NZのクラスは子供の能力に大きな差があるということです。途中で出来なくて投げ出す子供がいても、先生によってはフォローしません。それは子どもの意思を尊重するという考え方であり、強要して教えるのはよくないと考えているようです。初めの頃つまらない授業をして子どもたちに全く集中力がなくなり失敗だったと思うことがありました。1度はふざけている子がいたので、"やりたくないのならやらなくてもいい。"と言ったら、3分の1の子が席に戻ってしまってあわてたことがあります。魅力のない授業は子供が付いて来ないし、かといって子供を引き付ける為に子供の顔色を伺っていては、授業にならないし、楽しくそして学ばせる事は大変な苦労でした。(日本でも同じですが……)

 次第に子供達は日本語の授業を楽しみにしてくれるようになり、授業が終わったばかりの子どもが"明日も日本語の授業をして"と言ってくる子もありました。お昼休みももっと教えてほしいと子供たちが、日本語の部屋に交代でくるようになりました。私の昼休みは短くなりましたが、充実した毎日でした。

 ニュージーランドの小学校では日本の学校で使うような教科書はありません。どのクラスもレベルの違う子がいるのですから1つの教科書を使えるはずが無いわけです。例えば国語のreadingの学習では読む本がレベルによっても違います。教科書として使うのは、毎月送られてくる薄い冊子のような本です。その冊子が整理されて書庫にあり、パソコンでテーマを探して4種類位を能力に合わせて選び出し、子どもに渡します。

 日本は全員が同じ教科書で学習します。指導書がありますので、それを見れば何をどのように教えればいいかがわかります。ですから大雑把に言ってしまえば、日本のどこに行ってもほとんど同じような方法で同じ内容を学習できるようになっています。

 日本の学力がある程度維持できるのは、このようなシステムがしっかりしているからだと思います。できない子どもも何とかして引き上げられるように教師は努力をします。

 ニュージーランドでは、"教育は個人のもの"という考え方が根本にあり、個人の能力合わせて与えなければならないことになっています。ですから現実としては、できない子どもはいつまでもできません。5年生になっても掛け算はもちろんのこと、繰り上がり繰り下がりができない子どももいます。

 子どもだけでなく教師も個人を大切にします。決まった指導書もありません。教師は工夫しながら授業を進めます。ですから教師の力量によってクラスに大きな差が生まれていると感じました。学力を向上させるよりも個人を尊重することが優先されるのです。

 NZは、親の責任と学校の責任がはっきりしています。つまり個を大切にするということが共通理解されているということだと思います。親は子どもを安全に登下校させる責任があります。多くの親が車で送ってきますが、自転車で来る子、ローラースケートで来る子、歩いて来る子と様々です。親の責任ですからどのように登下校させるかは親が決めます。私のホームスティの母親は3時に迎えに行くために、パートの仕事しかできないと言っていましたが親の責任を果たすためにはしかたがないことです。

 日本(私の勤めている東京の学校)では、下校時の誘拐事件が起きてからほとんど毎日集団下校をしています。登下校の責任は学校にあると考えられているからです。1分も無駄ができないような毎日の生活の中、教師は30分の時間をそのために使います。

 NZでは、食事も親が責任を持ちます。お弁当ですから、親が責任をもって食べさせます。多くの子はサンドイッチを持ってきます。中には、カップラーメンだけの子がいたり学校でパンを買って食べたりしている子もいました。家庭によって差があり、十分食べていないのではないか心配になる子もいました。食事は天気がいい時は外で食べます。担任の先生は外に食べに行ったり、スタッフルームで食べたりしています。看護当番のような先生が下学年1人上学年1人決められていて、立って食べている子や片づけが悪かったりする子を注意していました。

 日本は栄養のバランスから食事の躾まで学校に責任があります。もし集団中毒が発生したらと考えると、手洗いの仕方、配膳の身支度などいろいろな配慮が必要です。子どもにとっては給食の配膳方法から食事の仕方まですべてマニュアル通り行動しなければなりません。学校が管理するということは、親も子どもも自由に考えて行動することが少なくなるということです。

 NZの学校の話に戻ります。高校生がミュージカルを無料で見せるというので、中学年以上の子どもがバスを借りきって行くことになりました。しかし、各クラス2・3名の子どもが行かず教室に残って勉強をしていました。行くか行かないかは親が決める権利があるということです。日本では考えられないことです。

 家を出てから帰るまで学校が責任をもつという考え方はもしかしたら、集団を重視する日本特有の考え方なのかもしれないと思いました。
(了)
(2013年12月27日掲載)