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韓国で日本語教材を出版(上)


 李致雨 (韓国)

ピラミッド
李致雨さん

―日本の生活が長いですが、どうでしたか。大変だったでしょう。

:私の場合は大丈夫でした。子供が日本で生まれましたが、手術代、ミルク代、それに補助も出ました。検診も無料でしたし、幼稚園も安く入れてもらえました。子供2人を幼稚園に入れることができました。韓国だったらありえないことですが、アルバイトしながら生活できました。いろいろなことがありましたが、結構順調だったと思います。今は楽ですよ。運動も兼ねて働くつもりです。

―そうですか。日本に来て嫌なことはありましたか。

:ありましたよ。アルバイト先の人が大変厳しくて、たたいたりするんです。

―えっ、そんな人がいるんですか。何でたたくんですか。

:ミスしたり、掃除をしなかったりとか。結局、1週間で辞めました。後、古いアパートに住んでいたとき、2階から水が漏れてきていたんです。また、自転車に乗っていると警官に「自転車、あなたのですか」と職務質問されました。「外国人が多いから犯罪が多くて」と言われて腹が立ちました。その後、「連絡先を教えてください」と言われたので、「私の自転車なのにどうしてですか」と言いましたが、「決まりですから」と言われて結局連絡先を教えました。何分も言い合いしていても仕方がないと思ったからです。差別だと思いました。大使館にいたときは楽でした。道路にバンを止めたときは、韓国と日本は仲がいいからレッカーで運んでしまうこともできないし、他の車はレッカーで運ぶのにこれだけいいとも言えないし、早く動かしてくださいと言われました。

―やっぱり大使館で働いていたときは違っていたでしょう。

:留学生の時はいろいろありました。私じゃないですが、酔っぱらって人の自転車に乗って警察に捕まった人もいましたよ。

―よくある話です。

:そうですね。日本で生活していたので子供達は特別枠で韓国の大学に入れたのでよかったです。

―子供達は嫌な思いをしなかったんですか。

:あったと思いますよ。お父さんとお母さんの名字も違いますし。

―日本人は離婚したと考えちゃいますからね。

:ええ、でもそう言うことを乗り越えなければならないと思いますよ。日本人じゃないから不便なこともありますよ。ビザの話とか。大使館の公用ビザの後、早稲田大学で研究員になったので人文地理国際業務のビザを2年間、その後は宗教ビザ、家内が牧師ですから。最初は1年その後3年、5年ともらいました。2006年に永住ビザをもらいました。

―永住ビザをもらうのは大変なんですか。

:教会の大山先生が保証してくれましたから大丈夫でした。その後は楽になりました。就業制限もないですし。日本に永住するつもりです。

―韓国の方が住みやすいのではありませんか

:それはないですね。日本の田舎に住みたいですね。今49歳ですから、60までは働きたいです。

―日本で働いたお金を使って韓国で暮らしたら楽でしょう。

:そんなことないんですよ。家賃も今は10万円ぐらいかかりますし。日本だったら6万円のアパートもあるし。久しぶりに日本に来たら、日本の方が安いんですよ。シャワーつきで4万円の部屋もありますから、こっちの方が安いんですよ。オンドルはありませんが。今は円安ですからウォンも価値がありますよ。韓国で投資して騙されて、買った値段の3分の1ぐらいの値段で不動産を売らなければならなくなったんです。

―それは大変でしたね。

:それで韓国の生活を引き上げて日本で働こうと考えたわけです。

―警備の仕事をすると言ったら反対されませんでしたか。

:そうですね。49歳で本もたくさん出しているのにそんな仕事をするなんて、と周りの人とか親戚が言うんです。でも私は気にしません。

―私もそうです。今までいろいろな仕事をしてきましたよ。

:出版は厳しくて、本を出したら売れるんですが、印税が3分の1に減ってしまった。年間1000万円が300万円から200万円になっちゃったんです。警備員しても20万円ぐらいにしかならないんですが、それでも私にとっては悪くはないことです。子育てとか結婚する人の場合は難しいかもしれませんが。

―そうですね。

:韓国からとりあえず引き上げて来て、2、3年はどこか田舎ででも働いて、店を開こうとか考えています。

―韓国料理屋とか。

:私が経営して厨房は誰かを雇います。投資です。そのために一番簡単にできるのは警備員です。

―結構厳しいですよね。

:もともと田舎育ちですから、慣れています。本を書くのは家の中の仕事ですが、外でやることが好きなんです。

―じゃ、しばらく新しい本は書かないんですか。

:2、3年はやりません。娘も今大学院で日本語を専門にしています。私はJLPT(日本語能力試験)の試験問題集を作っていますが、JPT(韓国TOEIC委員会が実施する日本語試験)の本のほうが売れています。JPTは韓国で会社が認めてくれている能力試験です。今、また日本語を勉強しなければという雰囲気があるので、2、3年後には、一緒に今度はJPTの本を書きましょう。

―いいですね

:先生には読解の問題を書いてもらって、私が文法などを担当したいです。その1冊を勉強すれば900点以上取れる本を作りたいんです。JLPTの試験問題集も2011年の東日本大震災が起きる前まではよく売れましたよ。今は3分の1ですね。いずれよくなるとは思いますが半分ぐらいだと考えているんです。元気が出てきたらまずJPTの本を作りましょう。

―そうですね。

:韓国人には例えばこれを覚えれば合格できるよというものを提示しなければならないんです。例えば日韓辞典の10万語を覚えれば合格するよという具合に提示しないと駄目なんです。

―そうなんですか。それで分厚い本に人気があるんですね。ところで、いつ日本に戻りましたか。

:10日前です。

―ずいぶん違ったでしょう。

:ええ、書類が違いました。外国人登録証もなくなりましたし、制度も変わりました。前は警備の仕事などは誰でもできましたが、30時間研修を受けないと現場に行けなくなりました。

―そうですか。

:91年に日本に来たときは留学生がいっぱいやっていたんです。

―韓国ではいい企業に入れても若いうちに辞めなきゃならないそうですね。

:だから自分で事業を始める人もいます。失敗しちゃう人もいますけど。今は全体的に景気が悪いです。私も景気が悪い人の仲間です。支出を抑えればいいんだけどなかなか難しいですね。韓国人も日本人も自分のできる範囲でやればいいんだけど…。

―昔のことを思えば、こんなに贅沢しているんだから…でももう戻れないのね。一回贅沢しちゃうとね。(続く)
(2013年9月30日掲載)