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アメリカのカレッジで頑張る−留学記 (2)


  K (日本)

−ニュージーランドの半年の留学を終えてからは何をしましたか。

K:帰国して実家の手伝いを半年ぐらいしてから今度はアメリカに行きました。帰国していたとき全く英語を使わなかったので、最初は英語が出てきませんでした。アメリカでもホームステイしました。寮は食事無しで1ヶ月700ドル、ホームステイは3食付きで600ドルでしたから。

−今度は大学だから随分違ったでしょう。

K:最初のプレイスメントテストに合格したので、いきなりカレッジの授業を受けることになりましたから、大変でした。エッセィなんか書いたことがなかったので、ライティングセンターという書き方を教えてくれるところに通って、エッセィを書きました。でもそこの人もそんなに細かいことまでは教えてくれません。最初は3ページぐらいでしたが大変でした。英語のクラスでは自分のことについて書きましたが、とても難しかったです。アメリカ人と一緒のクラスでしたから、最初は低い点しかもらえませんでした。それで日本が大好きだというアメリカ人と英語と日本語のエクスチェンジレッスンをしてその人にいろいろ教えてもらいました。

−その子とどこで知り合ったんですか。

K:カフェテリアにいた日本人に紹介してもらいました。彼は日本で英語の先生をやりたいのでそれで今、日本語を勉強していると言っていました。その子のお陰でやっといい点数が取れるようになりました。

−彼の日本語は上手でしたか。

K:普通に日常会話はできました。何級かわかりませんが、日本語能力検定にも合格していました。中国系だったので漢字もできましたし。

−授業はどうでしたか。

K:留学生は1学期に12単位取ればよかったので・・大体3教科ですね。4学期ありました。だから学校に行かない日もありましたが、課題をこなすのが大変でした。読む量も多かったし、わからない単語を調べながら読むのですごく時間がかかっちゃうし、アメリカ人も多いって文句を言っていました。先生は「これがカレッジだよ。いっぱい読め。」って言うんですよ。エッセイには先生がコメントしてくれました。文法の間違いは特にひどい場合だけは指摘されます。

−自分の意見を書くわけですね。2年間、英語でエッセイを書いていたら、実力が付きますね。ものを考える力も。

K:本当にそうだと思います。考えて、掘り下げてというプロセスを授業で習うので、こうやって考えていくんだなあということがわかりました。自分の意見も入れなければならないし、それを主張しろって言われました。日本ではそういうことを習っていなかったので初めはなかなか慣れませんでした。授業で意見を言わないと何だこの人馬鹿見たいというような目で見られてしまいます。英語を話しているときは積極的になりますね。

−プレゼンテーションなどもしましたか。

K:やりましたが、最初は全くできませんでした。日本人だからできないのではなく、他のネイティブの人もできなくて、アメリカ人も自動的にしゃべれるんじゃないんだとわかりました。最終的には10分ぐらいのプレゼンができるようになるんです。その前は訓練です。前に出て行ってクジのようなものを引いて、例えばそれがフラワーだったら、それについて1分ぐらいしゃべるんです。20人ぐらいのクラスで全員がプレゼンを毎日しました。留学生は私と韓国人の2人しかいなくて、最初は嫌だったんですが、そのうち通じるじゃないかと感じました。

−韓国人と親しくなりましたか。

K:最初は親しみやすかったんですが、やっぱり違うなあと思いました。気が強いっていうか、よく主張が激しいって思いました。

−中国人はどうでしたか。

K:その学校の中国人たちはみんなお金持ちだったので付き合わなかったです。試験で隣に座ると「これ何?」って聞いてくるし。監督している先生もいるんですが、全然気にしないんです。「自分で考えるのがテストでしょ」って言っても全然駄目です。男の子も女の子もそうなんです。中国人コミュニティーでカンニングペーパーが出回っていて、真面目に勉強していると「何でそんなに勉強しているの。カンニングペーパーがあるじゃん」っていうし、エッセイなんか代筆したものを買ったりしていました。後で痛い目に遭うよと言っていた日本人もいましたが、お金持ちで今まで痛い目にあったことがなく、これからも人生が保障されているから変わらないんじゃないかと思いますね。

−中国人にあまりいい印象がないんですね。

K:ええ、でも全員がそうだというわけではありません。香港の子とは仲良くなりました。他の国の人ではインドネシアの人が付き合いやすかったです。キリスト教徒のインドネシア人でした。私はボランティアのクラブに入っていたんですが、そこに結構インドネシア人がいたんです。明るくて波長が合いました。

−ボランティアってどんなことをするんですか。

K:学校のイベントのお手伝いなどです。ボランティアすると食事がつくんでそれもよかったです。仕事はハロウィンとかジョブフェアとか学生の表彰式みたいなこととか映画を見る会とかの手伝いでした。受付や場所のセッティングをしたり案内したりしました。

−英語の練習にもなるからいいですね。インドネシア人の英語はどうでしたか。

K:彼らは最初から結構しゃべっていましたね。

−そうですか。そのほかのことはどうでしたか。

K:ショッピングモールと映画館ぐらいしかない田舎だったんで遊ぶところとかはなかったんです。だから誰かの家でパーティーするぐらいでした。パーティーにはよくお酒を持って行きました。みんな若いので買えないので、年上の私たちが頼まれて買っていました。ほぼみんな未成年だったので。毎週、パーティーがありました。パーティーに行くと色々な人と会えますから、友だちの友だちというようにどんどん友だちが増えていってまた、パーティーに呼ばれるんです。

−楽しそうです。嫌なことはありましたか。

K:結構マリファナをやっている人がいました。たばこよりも体にいいと言っていました。一時、私が行っていた州も合法になるという話もありました。アメリカは地域によって違いますから。

−そうですね。コロラドやワシントン州は合法化されるらしいですよ。

K:でも、吸った後の彼らを見ていると・・酔っぱらいの域を超えているんですよ。パーティーなんかに行くと、「行こうぜ」みたいに消えちゃう人がいるんです。彼らは全然隠していないんです。戻ってくるともうすごくハイになっていて。たまに警察が来て捕まることもあります。

−人種差別はどうでしたか。

K:私は特別なことはなかったです。でも韓国人の子が夜歩いていたら車から卵を投げられたんです。私も車から何か言われたことはありますが、脅かすのが目的だったみたいです。

−拳銃を見たことはありますか。

K:ファミレスみたいなところで隣のテーブルに座った人が無造作にガンを置いたので、ガン持っている人もいるんだなあと思いました。私が住んでいた地域にはあまりガンがありませんでした。地域によるんでしょうが、ニュースではガンの事件が取り上げられることもよくありました。

−そのほか日本と比べて違うなと思ったことは何ですか。

K:日本のほうが安くて可愛い物がいっぱいありましたね。洋服などアメリカは可愛くて高いか安くて可愛くないかです。100円ショップの「大創」がありましたよ。1ドルかたまに1.5ドルで売っていました。流行っていました。ホームスティ先のお母さんも「私も良く行くのよ」って言っていました。お土産に扇子を持っていったんですが、「大創」で買っていったので、見つかったらやばいって思いました。誤算でしたね。

−食事はどうでしたか。

K:フィリピン人の家にホームスティしていたので、肉ばかりというのではなく、野菜も結構あって質素でしたが、おいしかったです。たまにご飯とかも出ました。でも他の家の子の話では毎日肉ばかりだったそうです。

−体に悪いですね。

K:日本人の友だちの知り合いは半年で3人も盲腸になったそうです。脂っこい物ばかり食べていたせいだと思います。太っている人が多くてやせている人は少なかったです。顔はすっとしているのに体は太っていて。車に乗っていますから。学校の駐車場も満杯です。駐車できなくて授業に遅れたと言っている学生もいました。みんな車です。自転車に乗っているのは留学生ぐらいでした。自転車は置いておいたら盗まれちゃうし、雨が多いところだったから乗らないのかもしれません。バスに乗ったこともありますが、停留所の名前を言ってくれないのでここはどこなんだろうと最初はとても怖かったです。運転手さんに言うんですが、たまに忘れちゃったりするんです。

−便利だなと思ったことはありますか。

K:キッチンのディスポーザーは便利ですね。それとスーパーのセルフレジが便利でしたね。なんでも銀行のデビットカードで払えたのもよかったです。

−そうですか。いろいろ経験しましたね。

K:ええ、留学して本当によかったです。(了)
(2013年2月15日掲載)