−どうして美麗 通化(仮名)さんは中国と関係がある仕事をしていますが、どうして中国語を勉強しようと思ったのですか。
美麗:私が初めて中国に興味を持ったのは高校のときでした。スーパーでアルバイトしていたときのチーフが日本人だったんですが、中国語がぺらぺらでした。当時は英語ができる人はいましたが、中国語ができる人はまれで、その姿がとても新鮮に映ったんです。将来の仕事に中国語を使ってみたいな、格好いいなと思ったんです。
−それでいつから中国語の勉強を始めたんですか。
美麗:え〜と、二十歳の頃ですね。日中学院で2年間勉強しました。
−学院での勉強はどうでしたか。
美麗:とても厳しかったです。大学で4年かけて学ぶ内容を2年間でマスターしなければなりませんから。
−中国語は全部漢字を使いますから、それも大変だったでしょう。
美麗:ええ、それに同じ漢字でも意味合いが全く違いますし、発音がものすごく難しくて……。
−卒業時にはもう話せるようになっているんですね。
美麗:ええ、それから天津師範大学に入学しました。そこで1年半ぐらい勉強しました。
−中国の学生の印象はどうでしたか。
美麗:日本に比べて親離れが早いと感じました。ほとんどの学生が寮生活をしていましたから。またよく勉強すると思いました。それに頭の回転が早いというか、切れる学生が多かったですね。
−学生はよく勉強するんですか。
美麗:しますね。朝早くからですね。私は朝授業前によくランニングしたんですが、5時頃にはもうかなりの学生がキャンパスのベンチで勉強していました。
−自分の部屋でなく外でしているんですか。
美麗:中国人の学生用の部屋は12畳ぐらいの部屋に2段ベッドが4つ置いてあって8人が暮らしているそうです。とても狭くて部屋の中では無理なんじゃないでしょうか。自分のベッドの上とか教室とか寮の余暇ルームや自習室で勉強するところでしているようでした。
−勉強中心で暮らしているんですね。学生たちの楽しみは何ですか。
美麗:一つは留学生との交流じゃないですか。留学生と本科生との交流の一環として相互学習というのがありました。日本人が日本語を、中国人が中国語を教えるんです。
−習いたい学生が大勢いるんですか。
美麗:日語科があったんです。寮の掲示板に「友だちになりませんか」などと貼れるようになっていました。良さそうな人がいたら連絡して、一緒に勉強しませんかなどと誘って友だちになりました。
−親しい友だちができましたか。
美麗:私はすごく親しかったのは3名ですね。
−勉強だけでなく一緒に飲んだりとかしたんでしょう。
美麗:ええ、彼らとの雑談で会話力がついたと思いますね。でも飲み屋は大学の近くになかったし、飲み屋は柄が悪いのであまり行かなかったですね。南開大学のレストランに良く行きました。
−他の大学のレストランですか。
美麗:ええ、誰でも自由に使えるんです。また近くの餃子屋にも行きました。あと楽しみと言えば高校時代からバスケットをやっていたので中国でもバスケットをやりました。スコットランド、韓国、アメリカなどから来た外国人もいました。国際交流ですね。
−じゃ、中国人だけでなく他の国の人とも友だちになりましたね。
美麗:そうです。私は大学で日本人留学生の会長をしていました。一番多かったのは韓国人でしたが、日本人も100人ぐらいいました。交流会では新入生歓迎会なども企画しました。そのパーティーで同じ趣味の学生を見つけて各国の学生と友だちになっていくことも多かったです。また会長として日本人学生のもめごとの解決の手伝いをしていました。それで大学の事務のスタッフにも認められました日本ではできないようなことを経験できて中身の濃い留学生活でした。(続)
(2012年8月31日掲載)