日本体験 外国体験 Experiences in different cultures
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Hideko Davisさん

【写真は、Axel Erstorp さん】

日本語を学んで


  Axel Erstorp (スウェーデン)

−Axelさんは3月11日の地震のときどこにいましたか。

Axel 学校にいました。僕の学校にはスウェーデン人が大勢いますが、みんな地震の経験がなかったのでびっくりしていました。

−スウェーデンには地震がないんですか。

Axel 南スウェーデンで一回とても小さい地震がありました。でも私はちょっと北に住んでいましたから地震を感じませんでした。

−初めて地震にあったんですか。

Axel あんな大きな地震は初めてでした。日本で小さい地震は経験していました。

−最初のときはどうでしたか。

Axel そのときベッドにいましたが、その地震はとても小さかったです。日本は地震が多いと知っていましたから、逃げませんでした。それにとても短かったです。

−11日のときはどうでしたか。

Axel その時は4階で友だちと話をしていました。休み時間だったので先生はいませんでした。あわてて外に逃げました。その後、学校の中に戻ったら、先生が机の下にいなさいと言いました。

−ずっとそうしていたんですか。

Axel そのときは10分後ぐらいにまた大きな地震があったでしょう。それは怖かったです。韓国人はとても怖がっていました。

−そうですか。家に帰るときはどうしましたか。帰れましたか。

Axel 直ぐには帰れませんでした。友だちと学校の近くのレストランに行って食事をしました。学校に寝ることもできましたから、食事の後ほとんどの人は学校に戻りました。でも私は中野に住んでいる友だちがいましたから、友だちと一緒に中野まで歩いて帰りました。

−どのぐらいで着きましたか。

Axel 高田馬場から中野までですから1時間ぐらいでした。

−中野まで大勢の人が歩いていましたか。

Axel まだそんなに多くの人は歩いていませんでした。みんなまだ電車が動くと思っていて駅で待っていましたから。埼玉の寮まで歩いた友だちもいました。6時間もかかったそうです。でもほとんどの学生が学校に泊まりました。

友だちのアパートの電気や水は大丈夫でしたか。

Axel はい、でもそのアパートはとても古かったので、その後起きた地震は本当は小さかったんですが、とても大きいと感じました。

−そうですか。ところ学校は休みになりましたか。

Axel ええ、次の週は本当は授業があるはずでしたが、そのまま春休みになりました。3週間休みになりました。

−日本の地震のニュースを聞いてスウェーデンのお父さんやお母さんは心配したでしょう。

Axel ええ、心配しました。私は学校のコンピューターでスウェーデンの友だちのFacebookにメッセージを出しました。その友だちがお父さんやお母さんに無事だと連絡してくれました。

−直ぐに帰って来なさいと言われましたか。

Axel お母さんとおばあさんとおじいさんは心配しました。お父さんは大丈夫だと思っていたみたいです。

−お父さんはどうして大丈夫だと?

Axel お父さんはいつも大丈夫だと考える人ですから。いつも落ち着いているんです。次の日家族とスカイプで話すことができました。3人はとても放射能のことをとても心配していました。そして香港へ行く切符代を送ってきました。それで僕は香港に行きました。

−飛行機代はとても高かったでしょう。

Axel 14万円ぐらいでした。

−成田は帰国する人でいっぱいでしたでしょう。

Axel でも僕は1週間後で香港に行きましたから、成田はあまり込んでいませんでした。飛行機の席は満席でしたけど。

−香港ではホテルに泊まったんですか。

Axel 実はスウェーデンで隣に住んでいた人が今香港に住んでいますから、その人の家に泊まらせてもらいました。2週間ぐらいいました。

−香港はどうでしたか。

Axel 面白かったです。それに日本と全然違うのでびっくりしました。楽しかったです。でも日本に戻れてとてもうれしかったです。

−日本に帰るとき何か言われましたか。

Axel 香港空港の人に東京の後でどこに行きますかと聞かれました。私が東京に住んでいますと行ったら、びっくりしていました。東京は危ないですよと言われました。

−香港のスウェーデン人も危ないと言っていましたか。

Axel もっと香港にいた方がいいよと言っていました。でも日本に住んでいない外国人はみんな危ないと言っていました。でも僕は日本にいましたから、大丈夫だと思いました。それに毎日新聞を読んだりインターネットで調べましたから。

−でもスウェーデンのニュースで日本は危ないと言っていたでしょう。

Axel でも電車もきちんと走っているから大丈夫だと思いました。

−その後家族とは話しましたか。

Axel 香港では毎日話していました。もっと危なくなるかもしれないから、帰ってきたほうがいいと言われました。でも香港を出発するころ日本はもう大丈夫だと思ったので帰ってきました。いろいろな国のニュースを読んだり、スウェーデン放射線安全機関のホームページもチェックしました。そこのニュースはそんなに危ないとは言っていませんでした。

−日本に帰ってきてから食べ物の放射能について気にしましたか。

Axel スーパーで売っている物は大丈夫だと思います。僕の周りのスウェーデン人は信じています。

−ところで学校で何人ぐらいの人が帰りましたか。

Axel 学校の韓国人は全員帰りました。戻った人は少ないです。スウェーデン人は一度国に帰った人もだいたい戻りました。中国人は全員戻りました。今では地震の後日本に勉強に来たアメリカ人やスイス人もいます。学校のヨーロッパ人は大丈夫だと考えているみたいです。

−そうですか。ありがとうございました。
(インタビューは2011年9月19日、西東京市で)

>> S/S STOCKVIK(Axelさんの家族が所有する船のホームページ)
(2011年12月掲載)