お茶を習うわけ
− 連載エッセー「徒然の森」第63回

by 北嶋 千鶴子

 お茶を習い始めてもう15、6年になる。きっかけは、当時勤めていた日本語学校で「日本事情」の授業を任されたことにある。学生たちに政治や経済などだけではなく、伝統的な日本文化も知ってもらいたいと思った。浴衣を着たり抹茶も飲んだり、滅多にないことを体験してもらいたかった。またせめてお茶の飲み方ぐらい習得させたいと考えた。

 しかし私自身、ほとんどお茶のことを知らなかった。そこで付け焼き刃ではあったけれど、茶道のマナーを友人に教わって当日の授業に臨んだ。学生たちは初めての経験にとても喜んでくれた。
  しかしもっとお茶のことを知った上で教えたいと思って、知り合いのお茶の先生の元で茶道を習うことにした。

 その後何年も学生たちにお茶の授業をしてきた。今では学生に授業をすることもなくなったし、茶道の免状も取ったのでもうやめてもいいのだが、いまだに先生の元に通っている。教師仲間は私がお茶を始めたいきさつを知っているので、まだ続けているを知ってあきれている。

 月に3回、先生のところに通っている。自分でもあきれるほどさっぱり上達しない。ただお茶を飲みに行っているに過ぎない。私は甘党だから、おいしい茶菓子が出るのも楽しみになっている。それでも頭を空っぽにしてお茶に専念する。今ではその時間が私にとってなくてならないひとときになっている。
(March 15, 2007)