わくわくする祭り
− 連載エッセー「徒然の森」第60回

by 北嶋 千鶴子

 飯能祭りに友人とそれぞれの孫を連れて4人で行った。思いの外にぎやかで山車も10台も出たし御神輿、稚児行列などさほど有名ではない地域の祭りにしてはずいぶん立派だった。今のような市を挙げての祭りになったのは昭和46年からだと言う。年々盛大になり、観光客も集めるようになったが、今でも市民の手作り、地域の人々に支えられているという感じがした。町の家々には祭りを祝う提灯がつり下げられていた。一軒1軒が、祭りに参加していることを主張しているようだった。

 子供の頃今ほど娯楽がなかった時代、私たち子供は祭りを本当にわくわくしながら待ちわびたものだった。幾ばくかのお小遣いをもらって、綿菓子や水飴などを食べたり、ヨーヨーや金魚すくいなどをした。私は金魚すくいが得意で、よく何匹も取って意気揚々と家に帰った。

 年を取っても祭りというと心が弾むのはなぜだろうか。獅子舞が乱れ舞うと体から落ちる紙を競うように拾った子供時代のことを思い出した。村の小さな神社で行われる祭りでは地域の大人たちが日頃から精進していた笛や太鼓、それに獅子舞が披露されるのだった。今ではその村の祭りは継承者がいなくなって廃れてしまったと聞く。残念ながら日本のほとんどの村祭りが同じような理由で消えていった。

 今残っているのは有名な盛大な祭りが多い。それは神事としての祭りの形式を一部残しているが、一般の人々にとっては単なる見せ物、観光にすぎない。それでも私は祭りが好きで日本各地の祭りを見に行く。東北の夏祭り、京都の祭り、高山祭りなどさまざまな素晴らしい祭りを見た。だが子供のころの沸き立つような喜びを感じることは残念ながらまだない。
(December 15, 2007)