贈る言葉
− 連載エッセー「徒然の森」第57回

by 北嶋 千鶴子

 息子や甥、姪が結婚したとき、私は贈り物に添えてちょっとした手紙を渡してきました。その中で私は両親のことを書いています。私の父は54歳、母は58歳で亡くなりました。平均寿命が80歳前後という世の中で、二人とも早すぎる死を迎えました。そのため私の息子たちは、祖父母がどんな人だったのか知る機会がありませんでした。甥や姪も同様です。しかし私はときどき、彼ら彼女らの中に両親の片鱗を見つけて驚き、遺伝って不思議だなあと思うことがあります。そういうささやかな発見と驚きを言葉に託して贈りたくなるのです。

 音楽家になった姪には、父がとても音楽好きで、ハーモニカが上手だったことやヴァイオリンを愛用していたことを伝えました。

 甥は知能指数が160もあってみんなに将来を期待されていたのですが、なぜか自分の父親、つまり私の弟と同じシェフのを歩んでいます。彼が結婚したときは、父がいくつも特許を取得し、次々に事業を起こすなど創意工夫を忘れなかった進取の精神の持ち主だったことを知らせました。将来、人の考えつかないような独創的な料理を作ってほしかったからです。また大変な努力家だった母のことも書きました。

 そして私の息子が結婚したときには、何事にもとらわれず他人の目を気にしなかった父のことを教えました。実は息子はもっとも私の父に似ています。服装を全く気にしないとか、いたって楽天的なところ、非常に子供好きなところなど、生まれ変わりかと思うほど似ています。

 父は本当に変わった人でした。娘の私が言うのですから間違いありません。
  仕事でよく人にだまされました。何度だまされても懲りずに人を信用し、その結果2度も会社が倒産。家族を困らせました。
  そんな状況なのに、わが家にはいつも居候がいました。父が連れてくる男たちは、今で言えばホームレスです。裕福な生活を送っていたわけではなく、倒産するほどですから、子供心にわが家は貧乏だとわかっていました。でもよその大人たちが入れ替わり立ち替わり家の中にいることを不思議だと思ったことはありません。自然なことだ受け止めていました。

 子供のころ、私はその変人の父が大好きでした。けれどもなんだか恥ずかしくて友達に紹介したくなかったのも事実です。その父をまるまる受け入れられるようになったのは結婚後だったような気がします。
  子供たちにもなぜかそんな両親のことを伝えたいと思うのは、私が年をとったせいでしょうか。
(September 15, 2007)