飛行機は嫌いだ
− 連載エッセー「徒然の森」第54回
by 北嶋 千鶴子

 私は飛行機が嫌いだった。できることなら乗りたくなかった。だから海外旅行の時はやむを得ないけれど、国内はもっぱら列車を利用してきた。

 実は私の母方の祖父は、列車事故で亡くなった。祖父はとても慎重な人だったので、踏み切りで列車に轢かれたと聞いたとき、誰も信じられなかった。踏切で列車が通過するのを待っていて、自転車のタイヤの先が列車に触れて巻き込まれたのだ。列車は単線だったから、もし列車が実際とは逆に、祖父の右側から来たら自転車だけが巻き込まれ、祖父は無事だったはずだ。今のJRがまだ国鉄と呼ばれ、今ほど車が多くない時代だった。

 私の父は交通事故で亡くなった。当時父は小さな建設会社を経営し、栃木県足尾町で工場建設を請け負っていた。その日建材が足りなくなって、近くの材木屋に買いに行ったとき事故に遭った。停めた車の前を横切ろうとして、後ろから来た車にはねられてしまった。もし乗っていたのが乗用車なら、その車が来るのは見えただろうに、そのとき乗っていたのは車高のある仕事用のトラックだった。そのトラックの陰に隠れて、走ってきた相手の車に気付かなかったらしい。典型的な交通事故だった。その当時はもう、世の中は車社会になっていた。

 3代目である私は、このことがあってから飛行機事故で死ぬのではないかという考えにとりつかれてしまった。飛行機嫌いだった作家の向田邦子さんが飛行機事故で亡くなると、さらにその不安が強くなった。

 私は年に何回か海外に行く。そのたびにこれで最後かなと思いながら飛行機に乗る。事故もなく無事に帰国すると、何だか生かされているような気持ちになる。そして仕事に対する意欲が湧いてくる。

 この話をしたら子供は私に「80歳すぎたら飛行機が落ちるかも」と言って笑った。

 私は何人も友人を病気でなくしてきた。友人たちはみな死と向き合い闘い続けた。強い精神の持ち主ばかりだった。私は見ていられなくてへなへなとなってしまった。こんな私だから自分が病気になったらみっともないことになるのではないかと心配だ。だから飛行機事故に遭うのは幸運なことなのかもしれないと考え始めている。
(June 15, 2007)