終戦で思い出す
− 連載エッセー「徒然の森」第44回
by 北嶋 千鶴子

 8月15日は終戦。その日、大事な放送があると村の人たちはラジオの前にかしこまって座っていた。天皇のお言葉を一言も漏らさずに聞こうと集まっていたのだ。ところが放送が始まってお言葉を聞いたのだが、実際にはその場にいた誰一人として内容を理解した者はいなかった。
  「今のはいったい何だったんだべ。」
  「何の話だべ。」
  と言い合っているところに村の役場の人が「戦争が終わった。」と飛び込んできた。それで一同はやっと戦争が終わったことを知った−。母からそんなエピソードを聞かされたとき、間の抜けた話だなと感じた。

 幸運にも私の周りには戦死した人も空襲に遭った人もいなかったので、戦争についてほとんど聞くこともなかった。

 父は海軍に招集されたが1週間の訓練で飛行機を作るために帰されてきた。軍事工場の技術者は必要人員だったからだ。父も母も飛行機工場で働いていたから、実際の戦争を経験していない。そこでは戦闘機を造っていた。それが何か月かにやっと1機完成という具合で、そのたびにのんきにお祝いをしていた。それでもアメリカに負けるとは思っていなかったそうだ。

 戦争に直接関わる話は実際、これぐらいしか話は聞いたことがなかった。
  しかし、戦後の食糧難は体験している。米ではなく麦ご飯を食べたり、サツマイモ入りのご飯だったので、白いご飯は憧れだった。米をはじめ、その他の食料も配給だったので、母と一緒に配給所に並んだことも度々あった。

 今のように物が豊富ではなかった。今では1房100円ぐらいで売られているバナナも、当時は食べたことがなかった。私の友人がバナナを食べた第一印象は「こんなにまずいものはない。」だった。彼女はお客さんがお土産に持ってきたバナナを、皮ごと食べたのだった。笑い話のような話だ。私も初めてバターを口にしたとき、世の中にこんなにおいしい物があるのかと思った。当時まずいマーガリンしか食べたことがなかったのからだ。

 直接の戦争体験がないので、私にとっては戦争というと貧しい食生活が思い出されるのである。
(August 15, 2006)