友人の死
− 連載エッセー「徒然の森」第42回
by 北嶋 千鶴子

バラの花 友人を亡くした。彼女が腰が痛いと訴えてから3年、癌が発見されてから2年が経っていた。遺言で葬儀がなかったせいか、未だに彼女の死が受け入れられない。彼女の家のそばを通るたびに、胸が苦しくなる。

 彼女の死をご主人から知らされた日から私は鬱状態になり、寝ながら推理小説ばかり読んでいた。仕事も家事もやる気がでなくて、ごろごろしていた。ふだんお土産などを買ったことがない夫が、2日続けてケーキを買ってきてくれたり、外食に誘ってくれたりした。友だちに彼女のことを話すたびに涙が出てきた。夫が「彼女のことを書いたら気持ちが吹っ切れるかもしれない。」とエッセーに書くことを勧めてくれた。

 それでこれを書いているわけだが、書きながら泣けて仕方がない。誰も見ていないので構わないのだけれど、かなりみっともない状態だ。

 彼女とは子どもの小学校で一緒に役員をしたことから付き合いが始まり、いろいろなところへ一緒に行ったので思い出も多い。出会ったときには専業主婦だったが、その後税理士の勉強を始めて4年ほどで税理士試験に合格した。その時もう40代半ばを超えていた。仕事が好きで事務所を開き、大きな仕事先も出来て、全てが順調だった。税理士会の役員として韓国へ視察に行ったこともあった。

 そして突然の癌の宣告。初めて私に癌だと告げた日。どんなにか不安だったろうに、そんなそぶりも見せず、癌が点々と白く撮されたレントゲン写真を私に示しながら淡々と話した。彼女の癌は発見時に肝臓の数字が健康な人の何百倍にもなっていたし転移もしていたので、治る見込みはなかったけれど、現状維持できればいいんだからと私たちは話し合った。

 彼女は今の生活を変えたくないと言っていた。仕事は彼女の体に負担をかけるかもしれないが、彼女の生き甲斐でもあった。無理はしてほしくはなかったが、病人でいるだけの生活も苦しい。彼女は決して生活を変えなかった。最後に入院した時も病室でてきぱきと指示を出して意識がある限り仕事を続けていたそうだ。本当に立派だったとしか言いようがない。

 最後に会った日に彼女は「これよかったら、着て。要らなかったら捨てていいから。」と言って夏服をかなりの量、私に差し出した。そのとたん、形見のつもりなのか、形見になるのではないかと私は不安に襲われた。夏まで生きていられないと覚悟しているのだと察して、ショックだった。それを顔に出さないようにして、何事もなかったように冗談などを言って過ごしたが、心は重かった。あの日、雨の中を不安な気持ちで運んだその服は、やっぱり彼女の形見になった。

 その後、彼女には会えなかった。肺炎を起こした後、医者からなるべく人に会わないように言われたらしい。また脳の癌が大きくなって呂律が回らなくなり、話すのが困難になったからだ。私は桜の枝を届けることぐらいしかできなかった。

 何を書いても不十分な気がしています。合掌。
(June 15, 2006)