日本語を話して世界が変わる
− 連載エッセー「徒然の森」第32回
by 北嶋 千鶴子

アサガオ 欧米人に多いのだが、日本に来て、日本語をまったく話さずに生活している人たちが大勢いる。特に東京では、英語だけで生活するのに何の不自由も感じない。どうせほんのちょっとの期間過ごすだけなのだから、何も難しい日本語を勉強することもないと考えているらしい。

 私の学生もそうだった。大学院に入学、勉強するためのお金をためたら、さっさとアメリカに帰ろうと考えていた。日本語を勉強してみようと思うまで1年半ぐらいかかった。優秀な彼は集中して勉強を始めた。すると世界が変わって見えてきた。彼も日本語を話そうとするし、英語が話せない日本人が一生懸命易しい日本語で話しかけてくる。彼の片言の日本語を直してくれる人もでてきた。

 日本語を話さなかったときには触れ合うこともなかった人たちと話すようになったのだ。以前の日本人の知り合いはみんな英語がぺらぺらだった。みんな優秀な人たちばかりだったろう。町のおじさん、おばさんが、英語が話せるなどどいうことは日本ではめったにない。

 日本語が話せなかったときには、例えばよく行くバーのマスターも何の個性も感じられない、お酒を運んでくるロボットのような存在だった。ところが彼と話ができるようになって、いろいろ彼の個人的なことも知るようになると、とても面白い人物だということが分かってきた。気が合って一緒に遊びに行くようにもなった。彼以外にもいろいろな人と友だちになって日本での生活が楽しくなってきた。。

 以前、英語学校の同僚と「日本は面白くない。退屈だ」などと言っていたのが嘘のようだった。結局予定よりずっと長く日本にいた。帰国し大学院で勉強し直した後、現在は再び弁護士として日本に戻ってきている。
(August 15, 2005)