注意散漫
− 連載エッセー「徒然の森」第10回
by 北嶋 千鶴子

 「注意散漫」。この言葉ほど私の性格を的確に表す言葉はない。小学2年か3年のころ、成績表の中で初めてこの言葉に出会ったが、その時は幼すぎて意味がわからなかった。

 子供ころ私はよく川やどぶに落ちた。ある日祖母の家から帰る日に小川に落ちて靴をぬらしてしまった。代わりの靴がなかったので私は、よそいきを着て足もとはゴム草履のちぐはぐな格好で電車に乗る羽目になった。遊園地の川に落ちたときは腰から下がずぶぬれだった。

 母をあわてさせたのは駅のホームから落ちたときだ。電車まだかなとのぞいたとたんに落ちた。ホームは私の背より高かった。すぐに男の人が飛び降りて私をホームに押し上げた。私はうまく?落ちたのでかすり傷一つなかった。先生が指摘したように、私は「注意散漫」だったのだ。

 このような経験は数え切れないほどある。でも誰もこのような私の性格に気がつかない。外見にだまされるのだ。私自身も「おっちょこちょい」の性格は直ったと思っていた。大人になってどぶに落ちる経験などしなくなったからだ。

 ところが5年前の沖縄旅行のときだった。「タクシー来たわよ」と友達に知らせようと後ずさりしたのがいけなかった。みごとどぶに落ちてしまった。幸い手に擦り傷を作っただけですんだ。運転手さんや友達は驚いて、しきりに「大丈夫?」「けがしないなんて奇跡ですよ」「運がよかったわよ」「腰の骨を折るところだったわよ」などと言った。そのどぶにはずっと蓋がしてあったのだが、たった1枚だけ
掃除のために蓋がはずされていたのだ。よりによってそこに落ちるなんてほんとに「運がよかった」のだろうか。

 「注意散漫」という言葉が頭に浮かんだ。何だ全然直ってなかったんだ。どぶに落ちなくなったのは大人になったためでなく、どぶに蓋がかかるようになったおかげなのだと、そのときやっと納得した。やはり「注意散漫」だったのだ。
(07/10/2003)