自転車 a bicycle
− 連載エッセー「徒然の森」第9回
by 北嶋 千鶴子

 秋。サイクリングの季節がまたやってきた。

 どこへ行くのも自転車を使う。例えば私が住んでいる保谷から吉祥寺までバス
だと1時間かかるが、自転車なら30分もかからない。排ガスも出さないし、運
動にもなる。おまけにお金もかからない。

 20年ぐらい前に中国に行ったとき、自転車の流れに圧倒された。まるで洪水
のように自転車が押し寄せてくる。あんなにたくさんの自転車を一度に見たのは
初めてだった。その光景に中国・中国人のエネルギーを感じた。今でもあのよう
な光景が繰り返されているのだろうか。

 韓国人はあまり自転車に乗らないようだ。ソウルでもプサンでも自転車に乗っ
ている人をほとんど見なかった。坂が多いからかなとか、タクシーにすごく安く
乗れるせいかなと考えたが、実際のところはわからない。日本に来て初めて自転
車の便利さに気がついたと韓国駐在員の奥さんたちがよく言っている。韓国では
もっぱら車を使っていたそうだ。韓国でも最近やっと郊外の町で自転車に乗る人
が増えてきたという。

 アメリカから交換留学生として慶応大学に来ていたA君は、東京ならどこでも
自転車で行っていた。彼は東京の端から端まで毎日50キロ以上も走っていた。
彼が乗っている自転車には10段ギアがついていた。
 自転車に乗っていると、道行く人の表情も分かるし、家並みも看板も見える。
電車から見える景色とは違って、もっと生き生きして、生活に密着している風景
だ。それに自転車ならでいつでも気の向いてところで止まることができる。

 長男が「おばあちゃんの家まで自転車で行ってみたい」と言い出したのは5歳
のときだった。15キロ以上も一人で行かせるわけにいかないので、赤ん坊を背
中におんぶして私も出発した。

 地図を見ながら最短距離で行こうと思ったのだが思うようにいかない。私の自
転車はいわゆる「ママちゃり」でタイヤは20インチと小さかった。もちろんギ
アもついていない。子供も体にあった小さな自転車だった。母の家に着いたとき
はおしりが痛くなっていた。3時間以上もこぎ続けていたからだ。もうこりごり、
こんなことは止めようと思った。けれども翌日家まで自転車で帰らなければなら
なかった。

 父方の祖母は70歳を過ぎても自転車を乗り回していたので、「猛烈ばあさん」
「ハイカラばあさん」と呼ばれていた。当時は着物を着ていた時代なので「もん
ぺ」をはいてさっそうと自転車に乗る老婆?の姿はかなり人目を引いたに違いな
い。私も子供ながらに「すごいおばあさんだ」と思った。私は祖母の血を引いた
のかもしれない。
(07/09/2003)