花火
− 連載エッセー「徒然の森」第8回
by 北嶋 千鶴子

 夏と言えば花火だ。世界には花火を禁止している国もあるが、花火ができないなんて夏の楽しみが半減すると思う。最近は花火をしない。周りに子供がいないからだろうか。それとも花火を楽しむゆとりが失われたからだろうか。

 子供のころ、誰の線香花火が一番長く続くか、よく競争した。小さい火の玉から、松葉のような火花が次々に飛び出してくる。その繊細な光の不思議さに飽きることがなかった。今日本で売られている花火はほとんどが中国製だそうだ。しかし線香花火だけは日本製の物がまだ作られているという。日本製の線香花火の繊細さが際だっているからだという。

 打ち上げ花火もよく見た。世田谷にあった私の家から、二子多摩川や丸子多摩川の花火が見えた。当時は高い建物がなかったので、何十キロも離れたところで打ち上げられた花火が見えたのだった。庭から富士山も見えていた。だから遠くから「ドーン」という音が聞こえてくると、花火を見ようと屋根に上った。私の家は平屋だったけど、二子多摩川の花火は窓からよく見えた。でもなぜか、屋根に上りたくなっ た。小学校時代の私は身が軽く木登りなどが得意だった。屋根に上るのは平気だっ たのだ。スイカなんかを食べながら花火を見るのは最高だった。

 花火の音に誘われて、自転車に乗って二子玉川まで行ったこともある。川に近づくにつれ、初めは小さかった打ち上げ花火がだんだん大きくなってくる。真下で見たらどんなに迫力があるだろう、川に着くまで終わらないでほしいと思いながら自転車を走らせた。本当に大きな打ち上げ花火を見ることができた。でも川に着いたときには、最後の「ナイヤガラの滝」は終わっていた。

 日本語学校の学生ともよく花火を見に行った。花火を見たというより、飲んだり食べたりおしゃべりしたりした印象のほうが強い。花火は口実だったのかもしれない。

 子供ともさまざまなところで花火をしたり見たりした。それはみごとな花火ばかりだった。けれども私が子供のころ経験したような強い印象を残すような花火の経験はさせてやれなかったような気がする。今年は線香花火でも買って、庭で花火をしてみようか。
(07/08/2003)