子供の名前
− 連載エッセー「徒然の森」第6


by 北嶋 千鶴子

 孫が生まれた。名前は「かりん」と言う。生まれる前も生まれてからもみんなをやきもきさせ子である。体重2000グラムあまりの「未熟」児で生まれ、保育器から出られてやっと一人前?の赤ちゃんになった。

 この娘、両親にとって運命の子だというので、生まれる前は父親に「運子(うんこ)」と呼ばれていた。本人もよほど嫌だったのか「運子ちゃん」と呼ぶとおなかの中で固まってぴくりとも動かなかったそうだ。

 臨月には秋田まで小旅行をした。もし新幹線の中で生まれたら、列車の名前にちなんで「小町」だった。

 子供に名前をつけるのは親としての最初の仕事だ。親はいろいろな願いを込めて名前をつける。でも「静」と言う名前の女の子がとびきり活発だったり、親の願いの通りにはなかなか育たないものだ。「名前と反対」になることもままある。けれども誰もが、子の幸せを祈って名前をつけると思う。

 これも漢字が表意文字であるからこそできることだ。欧米の人に自己紹介する際、名前の意味を教えると感心される。そんなときちょっと、漢字の文化を誇らしく思う。

 名前をつけるとき意味だけでなく音も大切だ。現在は特に国際交流が盛んだ。私の姪はアメリカで自己紹介するたびに「えっ?」と言われたそうだ。彼女は「彩子(さいこ)」と言う。秋田美人の彼女と「サイコ」(psycho)という名前の落差がありすぎたのだ。すぐに名前を覚えられたのはいい点だったらしいけど。

 「奈緒美」という名前の学生がいる。両親が国際結婚だったので、英語でも日本語でも通用するようにと、親がどちらにもある名前をつけたそうだ。

 名前を見ると時代がわかる。
  最近人気がある名前をあげると、2002年の男の子は、駿 拓海 翔 蓮 翔太 颯太 海斗 健太 大輝 大樹 優…の順。女の子は、美咲 葵 七海 美羽 莉子 美優 萌 美月 愛 優花 凛…となっている。現代の親の願いが現れている。
(07/06/2003)