菖蒲(しょうぶ)
− 連載エッセー「徒然の森」第5


by 北嶋 千鶴子

 子供の日にはいつも菖蒲湯(しょうぶゆ)に入る。それが子供のころからの習慣だった。いつもと違うというだけで、なぜか浮き浮きする。この気持ちは昔から変わらない。スーパーで売っている菖蒲の葉を見ると、湯船の中で歓声をあげている子供たちの姿が目に浮かんでくる。今では喜んでくれる子供たちもいないけれど。

 今日、わが家の庭に菖蒲の花が咲いた。厳密にいうと菖蒲かアヤメかカキツバタかわからないが、去年散歩の途中で苗をもらった。それが青紫の大きな花をつけたのだ。

 そのときは珍しく早く起きて散歩に出かけた。家の近くの暗渠(あんきょ)が散歩道になっていて、いつもさまざまな季節の花が咲いている。だれが植えたのかわからなかった。

 散歩の帰りにその暗渠の上で、花を間引いているおばあさんに出会った。花の世話をしていたのだ。傍らには引き抜かれた花が積まれていた。捨ててしまうのだろう。いらないのならもらえないかと頼んでみた。すると傍らにあるだけでなく、わざわざほかの花も抜き取ってくれた。花も多すぎると駄目になってしまうからと言って。

 私たちはその後も顔を合わせた。出会うたびに、ちょっとおしゃべりをした。彼女は毎日花の世話をしていた。雨の日も傘をさしながら黙々と花を育てている姿を見て、彼女のような人がいるから通りすがりの人も花を楽しめるのだと思った。きれいな花を咲かせ人々に喜んでもらえることが、彼女の生き甲斐になっているようでもあった。

 彼女と話したのは花のことだけだった。だから、どこの誰かもわからない。私の早朝の散歩は三日坊主に終わり、その後彼女に会ったことはない。花のことも忘れていた。今日、庭で菖蒲の花を見ながら、ふと彼女のことを思い出した。あしたは久しぶりに早起きして、散歩道を歩いてみようか。花の世話をしている彼女にまた会えるかもしれない。
(07/05/2003)