「豆にご用心」事件
− 連載エッセー「徒然の森」第2回
by 北嶋 千鶴子

 節分というと、息子の「豆事件」が思い出される。何を思ったのか鼻に豆を入れて
しまったのだ。

 一回目はすぐに発見して無事取り出したのだが、二回目のときはどうしても家で
は取れなかった。あわてて医者に連れて行ったが、あいにく夜だったので耳鼻科
は閉まって、やむを得ず小児科に連れて行った。着いたとき豆は、鼻の中で水分を
含んでかなり大きくなっていた。

 親切な医者は一生懸命豆を取ろうとしたが、うまくいかない。結局もっと奥に押し
込んでしまった。もうとても取れないと分かったその医者は、責任を感じてか近
隣の耳鼻科医院を探してくれた。泣きっぱなしの息子を急いで連れて行ったが、
遅すぎた。豆はますます大きくなっていた。もう耳鼻科医院でもお手上げだった。

「豆をそのままにしておいて喉に落ちて気管に詰まると危険だから、大きい病院
で取ってもらったほうがいい」
 こう言われた時はショックだった。たかが豆と簡単に考えていたからだ。

 結局かなりの道のりを車で「日本赤十字病院」に息子を連れて行った。

 「日赤」病院では待ちかまえていた当直の医者が、泣き叫ぶ息子の豆を取ろう
と奮闘した。泣き声が大きかったせいか珍しいケースだったためか、関係ない医
者まで次々にやってきて、息子の鼻の中をのぞき込みいろいろアドバイスした。
けれどもやっぱり駄目だった。

 とうとう「豆を喉に落とします。動いて豆が気管に詰まると危険ですからこれ
から麻酔します。今晩は入院してください」と言われてしまった。

「えっ、入院ですか」
「そうです。麻酔する場合は大事をとって入院しなければなりません。お母さん
は付き添ってください」

 おろおろしながら息子を抱いて麻酔の準備を待っていたとき、部長先生が現れ
た。病院から連絡を受けて夜中なのに駆けつけてくれたらしい。

「どうれ、見せてご覧」

 部長先生は息子の鼻をのぞき込んで、細い棒のような器械を豆に突き刺して、
あっという間に取り出した。

「ほら取れた」
 部長先生の手際のいいこと。みんなあ然とした。

「さすが」

 私は拍手したかったが、神妙な顔で頭を下げただけだった。

 息子は入院しないですんだ。「あれは突き刺す角度の問題だったのだ」とか
「部長先生ともなると実力もあるんだなあ」などとしばらく、家庭で豆事件の話題が続い
た。私の母が「あなたも二回鼻に豆を入れたじゃない」と秘密にしていた私の豆事件のことを言い出すまでは。
(07/02/2003)