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ベトナム人はうるさい


 グエン・フォン・タオ (ベトナム)

ランディカ・ジャヤミニ
グエン・フォン・タオさん

 日本へ来たばかりの私にとって、一番うれしいと思っていることは、今回の研修生の中にベトナム人が私だけではなく、他の5人もいることである。生活や勉強などについて母語で相談したり、おしゃべりしたりすると、とても便利だし、非常に楽しい。しかし、よく大きい声でおしゃべりしたので、他の研修生に「うるさいよ」と言われたことがある。「ベトナムであれば大きい声で話したり、笑ったりしても大丈夫であるが、ここは日本だから、気を付けなければならないね。」というベトナム人の声も出た。やはり日本人は公共の場でとても立派な姿を見せ、大きい声で絶対に話さない感じがする。ではどうして日本人はその性格があるのだろう。ベトナムと比べるとどうだろう。本稿ではそれを明らかにしたいと思っている。

 日本人のその性格について調べたいと思って、ある日本人の友人にインタビューしてみた。彼女によると、日本人はいつも丁寧であり、他の人に迷惑をかけないように気をつけるそうである。「例えば友人と一緒に食べに行く時、寿司を食べたいと思っても、お好み焼きが大好きで、『お好み焼きを食べよう』と言う友人に対しては反対しない。それは日本人によく見られることである。」と彼女は言った。他の人に不快な気持ちを与えたり、他の人とけんかしたりしないように自分で我慢するのは日本人の習慣の一つのようである。日本人が公共の場でいつも小さい声で話し、あまり大きい声で笑わない理由はそのためだそうである。また、私の友人によると、日本人の大部分は血液がA型であり、そのタイプの性格はいつも厳しくて、細かいそうである。ゴミは正しく分けないと捨てないし、何かを買いたいときもけんかしないようにきちんと行列を作るタイプである。そのタイプなら、自分の声、自分のことが他の人に迷惑を与えるかどうかもちゃんと気をつける、ということも変なことではないと思っている。

 しかしそのため、日本人があまり自分の本音を表わさない、という意見がある。 本音で話さないため、迷惑につながったこともあるそうである。その一つは、日本人の会社の会議が普通の時間よりとても長いということである。なぜかというと、本音で話さないで、柔らかく意見を述べたため、相手は納得しないのである。「あなたの考えは間違った。」と直接言わないで、「あなたの意見も正しいですが、もっと工夫すればどうですか。」と言うと、相手は「あ、私も正しいね。そのままにしよう。」と考えてしまうことになる。それも大変ではないかと思う。

 また、もう一つが、相手のためにならないということである。私は、本音で話さないと親しくならないと思う。相手が何を言っても、何をやっても「それはいいよ。」「それはすごい。」と言ったら本当の友人ではないと思う。本当の友人だったら直接批判し、相手がもっとよい人になるように相手のマイナス点とプラス点もすべて述べると思う。例えば、私の場合もそうである。私は冗談などをよく言っていて、ユーモアがある人だと言われている。日本人の場合は、その冗談を聞くと、ニコニコし、「あなたは面白い人だね。」とよくほめるのである。しかしベトナム人の友人は逆に直接批判した。「冗談の言いすぎ、失礼なことになったことがあるよ。知らなかった?」と彼女は言った。例えば相手の外見を見て、「あなたは本当に子供のようにちいさいね、かわいいよ。」と言ったら、周りの人は笑うかもしれないが、本人の場合は不快な気持ちになる可能性があるようである。友人が批判しなければ、そのことに気がつかないまま、また何回も冗談を言いすぎることになるはずである。日本人の場合は、私とあまり親しくないので、批判の意見を言いにくいようであるが、どうして顔までもニコニコし、全然不快な気持ちが見られないほど、自分の感情を隠すのだろう。やはりA型の人はそこまで丁寧なのだろうか。

 ベトナム人は日本人と比べると、逆のことになる。ベトナム人の大部分は血液がO型であり、明るくて小さいことに気をつけないタイプだそうである。公共の場で大きい声で話したり、笑ったりすることはベトナム人にとって普通のことである。会社や学校の所でも、仕事中ではなければ皆は自然な声で話し、自分の声が他の人に迷惑を与えるかどうかは大切なことではないのである。もちろん、とても大きい声で笑いすぎないように、他の人が不快な気持ちにならないように気をつけるが、日本人と同じ丁寧な態度はないようである。

 また、本音を表わすということもベトナム人の習慣の一つである。親切な友人の場合はもちろん直接批判する。あまり親切ではない場合は顔で感情を表わし、相手の言葉や意見などに対する自分の不満を見せる。そのため、批判され、相手の反対の態度を見たときはがっかりするかもしれないが、後で自分を改善することができる、というよい点があるのである。

 例えば、私は最近模擬授業を練習したいと思って、ベトナム人の友人に見てもらった。ある友人は全然ほめなく、「あなたはよくない。」「その点は下手だよ。」とずっと批判した。私は失望し、やる気が全然出ないことになってしまった。「どうしてそんなに厳しいの?あなたは私よりそんなに上手なの?」と考え、怒った。しかし後で、もう一度考えた。友人が時間をかけ、私のために意見を言うことは貴重なことである。お金をもらわなくても、熱心に考え、私に改善してほしいだけである。ベトナムの慣用句の、「好きなら叩く、嫌いなら甘えたがる。」とぴったりだと思って、怒るのをやめた。 

 どんな態度で生きて行ったらいいか、それは人間の昔からの悩みようである。日本人と同じ、微笑んでやさしい顔を見せるか、それともベトナム人と同じ直接不満や反対の顔を見せるか、それは場合によって変えなければならないと思う。それも生活の技能の一つのではないかと考えている。しかしどんな態度を見せても、一番大切なことは相手のことを考えながら見せる、ということである。相手がやる気が出るようにほめることもよいし、相手に改善してほしいので批判することもよいと思う。本気だったらよいと思う。人間は、目と目を合わせ、「あ、その人は私のことを考えてくれた。」と思えたら結構幸せだと思う。
(2014年9月25日掲載)